Novels

『烏に単は似合わない』  阿部智里 文藝春秋 
「八咫烏」の一族が支配する世界「山内」では、世継ぎである若宮の后選びが始まろうとしていた。東西南北の大貴族四家から選ばれて桜花宮に登殿した4人の姫君、春殿のあせび・夏殿の浜木綿・秋殿の真赭の薄・冬殿の白珠。様々な思惑を胸に后の座を競い合う彼女たちだが、肝心の若宮が一向に現れないまま、次々と事件が起こる。若宮に選ばれるのはいったい誰なのか・・・

“あなたの予想をきっと裏切る意外な結末――驚嘆必至”てな惹句がついていたんだそうですが。
・・・確かに騙されました。それも、何と申しましょうか、目隠しされて手を引かれて歩いていたら、頭をしたたかにどこかにぶっつけて、「痛!」って目隠しをとってみたらそこは壁だった・・・、そんな感じ。

絶対騙されないぞ! って気合いを入れて読むミステリ読みもいるのかもしれませんが、私なぞは「やられた!」の爽快感を味わいたくてミステリを読むわけですよ。でも、このミスリード、相当後味が悪い。これを書いた当時作者が弱冠20歳だったと聞けば、そりゃもう、えらいもんだの一言なわけですが、この構成で、「反則!」と思わせずに完成度高いミステリとして書こうと思ったら、相当な小説技術が必要だと思うんで、ちょいとチャレンジャー過ぎだったんじゃないでしょうか。伏線無さすぎだし。担当さん止めなかったのかなあ。
あと、私はミステリというよりはラノベ風ファンタジーのつもりで、「なんて素敵にジャパネスク」みたいな感覚で読んでいたので、文体も台詞回しも、こんなもんでしょって感じで結構楽しめましたが、「松本清張賞」受賞作だというのを真に受けて読んだ人は、そりゃあ怒るでしょうねえ。

以下にネタバラシ疑問いくつか(マウスで反転すると読めます)。

えーと、花街から赤ん坊を買ってきて養女にするのは駄目、とかかいてある割には、白珠の祖母は花街の遊女だそうなんですが、あせびには登殿資格が実は無かったってオチなのですけど、白珠はOKって、宮烏ハーフは駄目だけどクオーターならOKなんですかね???
そもそも東家の娘(浮雲)が東家の当主の妻になるって、それって一体どういう親戚関係なのだ? 一族で通婚していたら、別の弊害が出てきそうだけど、それは無視していい世界なのかしら。
あと、藤波があせびを「おねえさま」と呼んでやたらと肩をもってるんですけど、真赭の薄は実の従姉妹ですよね。兄の若宮と真赭の薄は幼い頃に交流があるのに、藤波とは完全没交渉だったんでしょうか? あせびの母が藤波の羽母だったといっても、あせびの母って早逝したんですよね? あせびも母のこと大して覚えてないみたいだし、一体どこで仲良くなったのやら。
宝物庫であせびが会ったのは、多分今上陛下その人なんだろうけど(だから年齢に関しての描写がないのね)、「浮雲が無くなったので、仕事が楽になりました」の意味が最後まで分かりまへん。

とりあえず、浜木綿のオトコ前っぷりが格好良かったので、続編も読んでみようかと思います。いろいろと難はあれど、ある種、続きが読みたくなる魅力のある作品ではあったと思うので。

 

『烏は主を選ばない』  阿部智里 文藝春秋 
北領垂氷郷の郷長の次男坊・雪哉。周りからぼんくら呼ばわりされているこの少年、ひょんなことから日嗣の御子・若宮の側仕えに抜擢された。ところがこの若宮、人使いがやたらと荒い。兄・長束を差し置いて日嗣の御子となった若宮だが、宮中ではうつけと評判で、非の打ち所のない兄宮を支持する勢力は多い。若宮の周囲は敵だらけで、命を狙う輩まで次々に現れるのだ・・・

Amazonのレビューを見ていたら、2作目のこちらから先に読むのがオススメ、というコメントを散見しました。こちらの方が、構成的に引っかかるところはないし、1作目のネタバラシは無いし、それも有りだったかもですね、確かに。
というのも、このお話、2作目といはいえ、前作『烏に単は似合わない』と時間軸は同じ。前作でお姫様たちが桜花宮で火花を散らしている間、全然姿を見せなかった若宮が何をしていたか、のお話なんでした。前作で若宮の近習が桜花宮に飛び込んで取り押さえられる場面なんてのがありましたけど、こういういきさつだったわけですか。

1作目から読んでしまった身ではありますが、すでに3、4作目の紹介文を読んでいたので、1作目みたいなオチは無いのが分かっていたので、安心して読めました(笑)。ほぼ雪哉視点なので、普通に巻き込まれ型冒険小説の感覚で読めましたし。黒幕の動機も、ねじくれてはいても、腑に落ちるものでしたし。
それにしても無理難題に近い命令はされるわ、挙げ句に博打のかたの人質にまでされちゃう雪哉。いろいろ事情があってぼんくらのふりをしているにもかかわらず、つい意地になってできるところを見せちゃうあたりが面白い。若宮とはいいコンビですね。

ところで、日本史の話をするなら、「蔭位の制」って父方の位しか引き継がないんですが、山内じゃあ似て非なる制度なんですかねえ。

 

『黄金の烏』  阿部智里 文藝春秋 
若宮の近習を辞して故郷の北領垂氷郷に戻った雪哉のもとへ、何と若宮自身がやって来た。仙人蓋と呼ばれる危険な薬の被害が報告されたため、その調査に来たのだという。調査を始めた二人が北領の辺境の地で見たものは、集落を襲い、そこに住む烏を喰らい尽くした大猿だった・・・

というわけで雪哉あっさり再登場。続けて読むと、展開早すぎ。
1、2作目で主な登場人物と設定を揃えたから、さあメインのお話始めるぜ! って感じなんですかね。お話の都合上、2作目ではほぼ出番の無かった浜木綿や真赭の薄が、しっかり活躍してくるのも嬉しかったです。

ミスリードをいろいろ仕掛けてある構成ですが、1作目のような後味の悪さは感じられず。猿を山内に引き込んだ犯人にまつわるどんでん返しも、このくらいなら、そうきたか! という感じで読めました。

しかし、山内って、単独でどこかに存在する世界なのかと思っていたら、我々人間まで出てくるとはびっくりです。それも電気のある人間界って!

それにしても、この本単独だと、長束が阿呆な子にしか読めないんですが、単なる若宮の引き立て役でいいんですかね〜。
でもってラストのオチが、真の金烏である若宮は、同じ八咫烏を殺せない、のだそうな。・・・それで2作目で、腕は立つが、斬り合いになったら勝てない、みたいなことを雪哉に言ってたんですね。ただまあ、そこまでは良いのですが、全ての八咫烏に慈愛を注ぐ存在であるが故に、個人としての心を持たないって! ・・・いくらなんでもそれはない、と思う。若宮の傍若無人言動とあまりに合わなさすぎ。浜木綿がせっせとフォローしてますが、説得力無さすぎです。何もそこまで回収不可能に大風呂敷広げなくても、十分面白いのに・・・。

 

『空棺の烏』  阿部智里 文藝春秋 
宗家の近衛隊「山内衆」を養成するための「勁草院」。平民の茂丸、下人の千早、大貴族の御曹司・明留、そして雪哉。生まれも育ちも異なる少年たちは、三年間の厳しい訓練を生き抜いて、無事に卒院の儀を迎えることができるのか・・・

2作目で「罰として勁草院に送ってやる」とか言われていた雪哉ですけど、3作目で起きた大事件を見て、覚悟を決めて勁草院へやってきます。実力主義が前提だったはずの学内は、しかし今上陛下の無関心もあって、身分の格差は持ち込まれるわ、若宮の兄・長束を推す南家系統と西家系統の若宮派が激しく対立している始末。

そこへ乗り込んでった雪哉が、猿に襲われた故郷を見て入学してきた茂丸や、事情があって南橘家に縛り付けられている千早、西本家御曹司で若宮の味方を標榜するも、いささか態度に問題ありの明留やら、いろいろ事情有りの同級生を、友人というか仲間にしていくわけなのですけど、これが雪哉の面目躍如というか、腹黒いし執念深いし、頭が切れて計算高くて、それでもちゃんと人がついてくる魅力があって・・・難儀な子です。将来が楽しみだけど末恐ろしい。

ときに、明留って、第1作で、真赭の薄がしょっちゅう服の綻びを繕ってやってたっていう、あの弟ですよね? ・・・なんかちょっと、イメージ違ったです。もっとやんちゃな子を想像してました。
あと千早もねえ、素直に読むとキミの父ちゃんは一応まだ生きてるんだよね? 回想の優先順位が大分下なのね・・・

路近が長束に忠誠を尽くしている思惑は、やや剣呑な雰囲気を漂わせつつ、相変わらず謎なんですが、これが明かされるのはまだまだ先ですかね。割合じっくり学校生活を描いていると思ったら、最後の一章になって慌ただしく新キャラクター登場&大事件勃発。そしてラストに至ってふと思う。市柳草牙は無事卒業できたんでしょうか・・・。

余談ですが、今回結構校正ミスが目につきました。P200の「博陸侯」はP358で「博力侯」になっちゃってるし、P294のラスト1行、格好良く決めなきゃいけないところが「決まっったのだ」(入力ミスに非ず)になってるし、P320なんか、「定守」が2行後には「貞守」。シリーズ累計15万部だってんなら、余計内容はきちんと作ってくださいな。

 

『限りなき夏』  クリストファー・プリースト 古沢嘉通 訳 国書刊行会
1903年の夏の日、思いを確かめ合った幸せの絶頂で、凍結者によって「活人画」にされてしまった恋人たち。戦時下の1940年に一人だけ解凍されたトマスは・・・・「限りなき夏」。家族で出かけた「フラックス流路公園」で、「明日橋」を跳んだわたしは数十年後の世界へ出てしまい、そこで一人の少女に出会う・・・「青ざめた逍遥」。デビュー作「逃走」、初期の代表作「リアルタイム・ワールド」、そして数千年にわたって戦争状態がつづく世界「夢幻群島(ドリーム・アーキペラゴ)」を舞台にした物語4篇(「赤道の時」「火葬」「奇跡の石塚」「ディスチャージ」)の全8篇を収録した日本オリジナル短編集。

もとはといえば、初めて参加した読書会の課題本が、同じ作者による『夢幻諸島から』だったのでした。SFなんてろくに読んだことないけど、ミステリがメインの読書会ということだし、きっとミステリタッチの作品なんだろうな、てなこと考えながら取りかかってみたら。
・・・めちゃくちゃ読みにくい。全然ページが進まない。設定が矛盾だらけで全然全体像が見えない。でも、最後まで辿り着けばきっとすべてが収斂するに違いない、と思いながら最後の島まで辿り着き・・・
え、これでお終い?(殺人事件は出てくるけど、全然ミステリじゃありませんでした。)
上中下巻を1日で一気読み、なんて普通にやってる私が、「よく最後まで辿り着いた、私偉い!」なんて気分になる日がくるとは。こういう小説もありなんだなあ、という点では貴重な体験でありましたが。

というわけで、もし余力があれば読んでみましょう、と挙がっていたこちらの短編集、少しは謎の解明になるのかと、半ば意地になって取り組んでしまったのですが。・・・あれ、こっちは普通にすらすら読めるんですけど。
必ずしも好みの作風とは思わぬながら、最初の2篇ではロマンチックな幻想小説の雰囲気が味わえましたし、叙述トリックのやられた感とか、それなりに面白くて。「夢幻諸島」絡みでいえば、お、ここにもスライム(凶悪昆虫)登場、とか、あのカップルがこうなるのね、とか、脱走兵出てきたね、なんて結構楽しんでしまいました。ちなみに『夢幻諸島から』に出てきた意味不明のエピソードの一つ、20年前に書かれた短編にリンクしてるんだと読書会当日教えていただきました。・・・そこまでフォローせよと・・・?!

 

『フェッセンデンの宇宙』  エドモンド・ハミルトン 小尾芙佐・他 訳 早川書房
プリースト読了後、ちゃんとオチのあるSFが読みたい! って気分がふつふつとわいてきて(笑)、久しぶりに手に取った1冊。星新一、新井素子を除けば、初めて読んだSFであります。
もちろん自分で発掘してきたわけはなく、ミステリ好き(注:SFに非ず)の先輩が、面白く読めるはず、と貸してくれたのでした。(んなことでもなければ、一生ご縁はなかったものと思われます。)
それでも半信半疑で読み始めてみたところが、奇想に引き込まれ、どんでん返しに驚嘆し、爆笑したかと思えばしんみりして、と読み終わった時には大満足。

観察するだけでは物足りない、と実験室に宇宙を作り上げ、実験を試みてしまう表題作「フェッセンデンの宇宙」の、最後の1ページの怖さときたらないし、続く「反対進化」では、その発想があったか! とただただ驚嘆(確かに知力は化石に残らないですもんね〜)。
自分が頭の中で創造した異世界に、本当に行ってきたという作家が自分の体験談を語る「追放者」、荒涼たる惑星に不時着した探検隊が、氷の下に埋もれた都市を発見する「虚空の死」はラストのドンデン返しが何とも効いています。

一番抱腹絶倒だったのは「ベムがいっぱい」。タイトルを見て、火星人でも出てくるのかと思ったら、ほんとに初めて火星に降り立った飛行士の前に現われる、様々な姿で“英語”を喋る火星人たち。地球のSF作家たちが考えついた火星人が、すべて火星上に実体化したらどうなるか、というパロディの面白さに笑いっぱなし。

打って変わってシリアスな「時の廊下」では、戦後の混乱から国を立て直そうとする老政治家が、過去と未来におけるあらゆる時代の賢人たちが集まる集会所で、彼らに助言を求めます。最も遠い未来から来ていた男スウ・スウムの語ったことは・・・。 これしかないでしょってラストではあるのですけど、やはり胸に迫るものがありますね。
しかし、安い原子力を手に入れるための犠牲とその粉飾がテーマの「何が火星に」に至っては、再読して思わず涙・・・

これがみんな1930〜50年代に書かれたなんて信じられないくらい、今読んでも新鮮な読後感です。短編の醍醐味を堪能した1冊でした。

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