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『巨食症の明けない夜明け』 松本 侑子 集英社文庫
「拒食症」ではなくて「巨食症」。世間一般で呼ばれる「過食症」でも、前近代的な「大食症」でも、“昭和40年代して”いる「超食症」でもない、コミカルで、生命に支障のない程度に悲惨な「巨食症」。
タイトルを始め、デパートの食品売り場の描写など、全編を通して表現を選んで書かれた小説です。一人暮らしのアパートで過食に溺れる女子大生が主人公ですから、ストレートに私小説風に描かれたらあまりに陰々滅々とした小説になること間違いなしで、とても最後まで読み通せたか疑わしいのですが、そうした言葉選びや、ところどころ差し挟まれた社会学的な視点などが面白く読めました。「一世風靡というものが存在しえた時代そのものが、すでにノスタルジーの対象なのです」という表現に思わずうなったり。
そして、なんといっても最終章が効いています。このどんでんがえしにはただもう、やられた! の一言でした・・・

『ショート・サーキット』 佐伯 一麦 福武書店
始め題名を見て、レーサーが主人公の小説かと凄い誤解をしましたが、これはサーキットはサーキットでも回路の方のサーキット。3編ともに電気工が主人公の小説なのでした。
主人公はそれぞれに異なりますが、若くして子どもができて結婚し、そのために電気工になったところなど、設定に共通点もあり、ゆるい連作というおもむき。
いろいろな場所で工事や修理を行う主人公の目を通して、都会におけるさまざまな人間の営みが描かれた小説です。都会といっても思いっきり都心の高層ビルがでてくるわけではなく、団地などの、どっちかといえば郊外が舞台ですね。まあ、最後の「端午」が無かったら、結婚は人生の墓場だ、という読後感になってしまいそうなところもありますが・・・
手先が不器用なので自分では一生無理ですが(苦笑)、腕一本で仕事ができる人っていいなあ、と思わせられるところも、個人的に好きです。
最後の作者紹介のところを見たら、これ、芥川賞の候補になった作品なのだそうです。何か、難解でさっぱり分からない小説がとる賞というイメージがありましたが、10年前くらいだとこんな分かりのいい小説が候補になってたんですね〜。

『マドンナのごとく』 藤堂 志津子 講談社文庫
個人的に、直木賞というと受賞作よりもその前に候補作になった作品の方を面白いと思う傾向あり。宮部みゆき『理由』しかり(<『火車』)、原ォ『私が殺した少女』しかり(<『そして夜は甦る』)、林真理子『最終便に間に合えば』しかり(<『葡萄が目にしみる』)。
この小説に関してもまたしかりで、受賞作の『熟れてゆく夏』より断然こちらがいい! と思います。

実はこれ、作家名も作品の傾向も知らず、何となく題名につられて借りてみた本で、図書館の開架に並んでいなければ、出会えなかったかもしれない本です。しかし、そうして借りた本がとびきり面白かった、ということもあるもので、ずるずると返すのを延ばして読みふけり、ついには初めて督促状なるものをもらってしまったほど。

十歳年下の男性二人と関わり合うキャリアウーマンの話が、なにゆえ当時高校生の小娘をそうも引きつけたかといえば、主人公の醒めた目と自己肯定がえらく新鮮だったことにつきます。

自分を虐めているつもりは、まったくなかった。同時に、自分のそうした傾向への良し悪しの判断も、もはや捨てていた。悩み、反省し、自分を変えようとする「努力」という言葉は、私にとって、とうに死語でしかなかった。

自分が楽になった、自分と握手する手の度合いが親密になった、というなら、私は、得たものはあっても、失ったものは何一つなかった。死語がふえてゆくことは、私を身軽にさせた

諦念に裏打ちされているにせよ、愁嘆場をつくらない潔さと、自分の状況をつきはなして見ることができる醒めた目。今読んでも十分かっこいい。
2人の青年との奇妙な恋愛関係のリアリティも読ませます。

『きららの指輪たち』 藤堂 志津子 講談社文庫
既婚男性との恋ばかりしている真琴、仕事優先で離婚した江美、弟の教育に熱を燃やしてきた史子、そして一人の男に憧れ続けてきた麻子。30代を迎えて、万が一一生独身だった時のために、生活のベースである住まいを確保するべく分譲マンションを購入した4人の女友達同士。それぞれの恋愛模様、人間模様を描いた長編小説。

女友達というと、お互いに多少は屈折したものがあったりするものですが、この小説については一切無し。ああ、これなら同じマンションを買えるな、というのが納得できる関係ですね。4人の会話がなかなかコミカルで楽しく読めます。それぞれのエピソードはそれほど甘いものではないのだけれど、最後はあるべきところに落ち着いたという感じ。読後感がとてもいいのが何よりです。

文庫カバーの作品紹介に事実誤認があるのがご愛敬。

『さようなら、婚約者』 藤堂 志津子 中公文庫
見合い相手の広樹との婚約を3カ月で解消した美樹は非難の矢面に立たされた。気まずくなった両親の勧めで、彼女は遠縁の卓兄さんのもとに居候することになる。しかし、美樹はひんぱんに広樹と会っていた。親友の文沙子にも秘密にしている婚約解消の理由は、広樹が同性愛者であることだった・・・

世間とはややずれた感性の持ち主である(なにせ二十歳を過ぎて「いまね、空がすごいの。やっぱり極楽浄土って西方にあるのかもしれない・・・」ですから)主人公美樹と、美人で秀才、極端な真理追求の傾向のある親友文沙子。文沙子の真理追究が人間相手に向けられるようになって少なからず振り回される美樹なのですが、いわば両極端の二人のやりとりがなかなかコミカルで、面白く読める部分になっています。
卓兄さんの翻訳の仕事を手伝うようになった広樹と、美樹を訪ねてきた文沙子が鉢合わせするところから、話は意外な結末に。結末だけ取り出すとかなりとんでもない結末なのですが、こう緻密に描かれると納得してしまいますね。
個人的には、友人同士の間の嫉妬と喪失感、の描写のリアリティがぐっときます。

『ジョーカー』 藤堂 志津子 角川文庫
父の不倫相手、カオルの店で過ごした19歳、離婚した姉の自立を見守った27歳、そして32歳での再就職と父の死・・・。万穂子という女性の、それぞれの年齢に起きるドラマを描いた連作長編。

外に愛人を作る父、姉の夕利子を溺愛し、妹である万穂子を疎んじる母、母の言うなりの大人しい姉。その家族の中で居場所を見いだしかねている主人公の内面描写が秀逸です。そのせいか、男性との関わりにもむしろ友情を求めている感じもあり。結末がちょっと意外ですが、居場所探しの物語という性格があることを考えると、これはこれでいいのかも。

この人の小説を読んでいてしばしば感じるのが、専業主婦である登場人物の描き方が辛いこと。特に年のいった世代で温かく描かれている例を読んだことがないんですが、これはキャリアウーマン出身であることと関係があるんでしょうか? それとも、いい“お袋さん”なんか登場させたらドラマにならないから?

『葡萄が目にしみる』 林 真理子 角川文庫
大学時代、のべ4週間ほど山梨で発掘のバイトをしたことがあります。当然ながら周りで飛び交うのは ほとんど甲州弁。お茶の時間のたびに食えし食えしと果物やお漬物をいただいたり、後から到着した先輩に「そこ掘っちょ」って言われたら掘っちゃいけないんだよ〜、と言われて一同真っ青になったり・・・。おかげで、今この本を読み返すと、あのべらぼうな暑さとおばちゃんたちのお喋りが思い出されて懐かしい(笑)。

地方の進学校(一応町中には建ってたけど、生徒の大半が自転車通学だったし)という点では似たような学校に通いましたが、我が高校生活は大分のんびりしてましたね。校則もゆるかったし、別に学校にスターもいなかったし(笑)。
ただ、冴えない女の子の、“自分が綺麗な存在であることを知っている”女の子への反感など、ああ分かる分かる、という感じで、結構感情移入して読んだものでした。

『ファニーフェイスの死』 林 真理子 集英社文庫
この著者の作品はいくつか読みましたが、共通しているのが女性の描き方が辛いこと。リアリティがある分、相当きっつい。そんな中では本作はかなり例外的かなと思います。60年代が舞台ということで多分に歴史小説の趣があるからでしょうか。

上京して洋裁学校に通う恵子が、ファッションモデルのゆい子と出会い、モデルの世界に足を踏み入れるところから始まるストーリー。最後には主婦に落ち着いてしまい、“まっとうすぎておもしろくない”と評される恵子ですが、それだけに読み手とすれば感情移入しやすく、彼女といっしょになって驚いて目を丸くしながら、個性の強すぎる男と女がしょっちゅう事件を起こす世界に入ってゆけるわけです。
実質的な主役はやはりゆい子。ぶっぎらぼうでめんどくさがりながら姉御肌のところもあり、そしてこの作者にしては珍しい、と思ったのが女にもやたらに好かれるというキャラクター。あまり仕事熱心でないことで知られていた彼女がCMディレクターの設楽と出会ってCMの世界で成功し、そして69年の終わりをむかえ・・・。
実体験を元にしているわけでもないのに、こんな時代があったんだ、とその手ざわりを感じさせる筆力はさすがです。

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