Castello

イタリア編

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スフォルツェスコ城 Castello Sforzesco

1360年にヴィスコンティ家のガレアッツォ2世により小さな城が建てられたのがはじまり。1450年に傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァがミラノの共和政府を倒し、自らミラノ公を名乗って以後、スフォルツァ家の居城となった。即位後すぐにこの城の改築にあたり、城壁と高さ109メートルの入場門塔(フィレーテの塔)を建設。ブラマンテやレオナルド・ダ・ヴィンチの参加を得て、1466年に完成させた。その後も歴代君主が次々に守りを強化していき、17世紀の初め頃にはイタリアでも最大の要塞となっている。1733年にフランスのルイ15世によって城は半壊させられ、また1800年にはナポレオンによって城壁が大きく破壊された。1893-1906年にかけて修復され、現在の姿に至る。周囲1キロに達する方形の建物が同時に城壁をなしており、城壁の最上層は屋根のついた歩廊で、胸壁、狭間、石落とし、すべてが力強く美しい。
城内には古代美術館があり、優れた彫刻がおさめられている。とりわけ14世紀のバルナボ・ヴィスコンティの墓、ミケランジェロの『ロンダニーニのピエタ』、1511年にラヴェンナで殺害されたガストン・ド・フォアの像は有名で、ほかにベリーニやコレッジオの絵画も見ることができる。

1980年発行

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スカリジェロ城 Castello Scaligero

イタリアの北部ガルダ湖にのぞむシルミオネの町にある城で、14世紀にヴェローナのスカリジェオ家が築いた。岸から湖に4キロほど突出した岬の先端の岩盤上に築かれているが、水位が低いためにまるで城が湖の中に浮いているように見える。このプロポーションはヨーロッパの城の中でも他に例がない。

1980年発行

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ロッカ・マッジョーレ Rocca Maggiore

アッシジの町を守るために作られた要塞。13世紀にスポレート公がフリードリヒ2世(神聖ローマ皇帝・シチリア王)の侵略に対抗して砦を築いたのがはじまり。1367年に枢機卿アルボルノスによって改築された。四角い天守と多角形の塔(教皇ピウス2世の塔)を擁し、塹壕をもつ長い直線的な城壁で繋いだ形態は防衛に優れている。街を取り囲む市壁の一番高い部分にあり、裏は切立った険しい崖となっている。ここから眺めるウンブリア平原の眺めはとても素晴らしく、またライバルであったペルージアの町が対岸の丘の上にくっきりと見える。

1980年発行

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デルモンテ城 Castel del monte

イタリア南部プーリア州アンドリアにありサンタ・マリア・デル・モンテの近くに位置する。1240頃、フリードリヒ2世(神聖ローマ皇帝・シチリア王)によって建てられた。高さ500mほどの丘の上にぽつんとたつ美しい城で八角形を象徴的に取り入れており、全体が八角柱なのはもちろんのこと、各角には八角形の小塔がそびえ、中心部にはやはり八角形の中庭がある。要塞としての防衛機能は持たず、フリードリヒ2世の趣味であった鷹狩りのために建てられたとも言うが、本来の目的は謎に包まれている。1996年に世界遺産に登録され、イタリアのユーロの1セントコインの裏面デザインにも描かれている。

1980年発行

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バーリ城 Castello Normano Svevo

ノルマン時代(11世紀)の建造物の上に、1235年にフリードリヒ2世によって再建された城。のちには牢獄や兵舎としても使われた。現在、内部には獣彫刻やプーリア各地から運ばれたロマネスク様式の彫刻などがある。彫刻で飾られた門と城の入り口は16世紀に改築されたもの。中庭はボナ・スフォルツァ公爵によって作られた。

1980年発行

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皇帝の城 Castello dell'Imperatore

トスカーナ州北部のプラトに建つ城。13世紀半ばにフリードリヒ2世の庶子アンティオキア侯フリードリヒが古城跡に築いた。もともとはカッセロの町の城塞とつながっていたもので、連絡壕は角ばった長方形のグエルフィ狭間で装飾されている。

1980年発行

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アレキ城 Castello di Arechi

イタリア南部のサレルノにある城。8世紀にこの地を支配したランゴバルド人の君主アレキはここサレルノを王国の首都に定め、壮大な城を築いた。現在は、陶器コレクションや城からの出土品の展示場でもあり、また膨大な蔵書を誇る図書館、各種の催しや会議にも使われている。

1980年発行

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ミラマーレ城 Castello di Miramare

トリエステの郊外北西8キロにある白亜の館で、アドリア海を見下ろす絶壁にそそり立っている。カール・ユンカーの設計によるイギリス式ネオ・ルネッサンスの建築で、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの弟のマクシミリアンが、自分と妻シャルロッテのために建てた。イストリア産の白い石で建てられたこの城はドイツのノイシュヴァンシュタイン城にも匹敵するといわれ、内部にはハプスブルク家の家系図やシャルロッテの部屋などがあり、エリーザベト皇妃も度々宿泊したという。マクシミリアンは1864年までこの城に住むが、のちにメキシコの皇帝に推戴され、その後暗殺された。周囲はイタリア式の庭園と多くの樹木で覆われている。

1980年発行

参考文献:『新版・ヨーロッパの城』 井上宗和・著 現代教養文庫

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