Castillo

スペイン編

 ■ グラナダ県  Granada

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1964.2.10発行        1975.6.25発行

アランブラ城 La Alhambra

英語ではアルハンブラ。赤い色をしているため「赤い高楼」の名がある。南部アンダルシア地方グラナダの町に、1238年レコンキスタのために南に追われたイスラム教徒のナスル朝の創始者ムハンマド1世によって築かれた。1492年にキリスト教徒の軍に占領されるまでの250年ほどの間、王城として栄えた。14世紀の半ば頃ユウセス1世のとき城と宮殿の建造物を取り囲む大城壁と塔が完成し、最も美しい時期を迎えた。城塞(アルカサバ)・宮殿・離宮の3つの部分からなる、イスラム風の建物と庭園を残すヨーロッパで唯一の宮殿。
「裁きの門」をくぐり抜け、道に従って進むと「貯水槽の広場」に出る。左手には城塞があり、一番市街よりに立っているのが「夜警の塔」。重臣(メスアール)たちが政務をおこなった行政上の仕事場である「メスアール」では裁判の法廷がひらかれた。「黄金の間」の中庭ではスルタンが選ばれた人々を謁見した。次はコマレス宮の「玉座の間」で各国の来賓やグラナダ国王が謁見する部屋。政治的折衝、およびレセプションに供せられた。中庭は「アラヤネス」(天人花)と呼ばれ、大理石の柱とアーチからなる回廊に囲まれ、中央には長方形の池がある。最後はハーレムを主とする私生活の場で、ライオンの中庭が中心にある。

 ■ セゴビア県  Segovia

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1964.1.8発行        1966.8.13発行

セゴビアのアルカサル(王城) Alcazar de Segovia

マドリッドの北西65km、セゴビアの町の北西端の、クラモレス川とエレスヌ川に臨む断崖の上に建つ。要害の地であるため、早くからケルト・イベリア人の重要拠点とされ(セゴビアとはケルト語で「砦」の意)、この地を制圧したローマ人も水道橋を構築するなど都市の整備を行った。その後西ゴート族、イスラム教徒の城塞が造られた。アルカサルという名はアラビア語起源で、スペイン各地にこの名の城が残っている。1085年にアルフォンソ6世がこの地を奪回、トレドのアルカサルを参考にして城の建造を行った。1258年に崩壊するも、アルフォンソ10世によって再建され、ホァン2世、エンリケ4世、フェリぺ2世などの諸王によって修築、増築された。1474年にはカスティーリャ女王イサベルがここで戴冠式をあげている。その後、天守閣は監獄に用いられるなどしたが、1862年には火災が発生。現在の姿はその後再建されたものである。 城の西側は高台の突端に臨んでいて要害堅固だが、東側は地続きになっていて攻められやすいので、深い空堀で仕切り、壮大なトレ・デル・オメナヘを設けて守りを固めてある。
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コカ城 Castillo de Coca

セゴヴィアから47kmほどの小村に建つ城。1400年頃にセビーリャの大司教アロンソ・デ・フォンセカによって建てられた。城郭設計者から技術者に至るまでがムーア人であったため、純然たるムデハル様式の城郭として完成した。ムデハル建築の特徴の一つであるレンガが織り成す模様がとても美しい。城は四角形になっていて、一番外側の城壁には頑強な側塔があり、数多くの銃眼で武装されている。内側にはさらに城壁があり、六角形の塔が付随していて、内部は六角形の美しい部屋になっている。19世紀にナポレオン軍により破壊されたが今世紀になって修復された。

1967.8.11発行

 ■ バリャドリッド県  Valladolid

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ペニャフィエル城 Castillo de Peñafiel

ヴァラドリッドの東方約50kmの地に建つ。城の創建は11世紀にさかのぼると伝えられる。現在の城郭は1307年にドン・ファン・マヌエルにより再建された後、15世紀にドン・ペドロ・ジロンにより改修されたもの。城は独立した尾根上に営まれたため、城郭全体もまた尾根状となり、幅が最大部分で30mほどなのに対して長さは約200mと大変細長い特殊な形状をしている。トレ・デル・オメナヘ中心部はその中央辺に構築されたので、遠方から見ると巨大な軍艦のように見える。

1968.7.29発行

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トレロバトン城 Castillo de Torrelobaton

14世紀に築造された城郭で、規模は大きくないが、外観は大変良好な状態で現存する。しかし、城郭内は小麦工場などに転用されてかなり荒らされている。

1969.6.24発行

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モタ城 Castillo de La Mota

メディナ・デル・カンポの町から少し離れた丘の上に建つアラブとイベリア半島風の混合様式をもつ巨大な平山城。13世紀にカスティーリャ王によってつくられ、巨大なドンジョンを中心に、外堀と二重の城壁に囲まれ、多くの隅塔、小塔によって完璧に防御されている。城壁の上は歩廊となり、胸壁がついている。 イサベル女王は幼時をこの城で過ごした。近世になってからは刑務所として使われ、現在では個人の所有となっている。

1966.8.13発行

 ■ パレンシア県  Palencia

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アンプディア城 Castillo de Ampudia

ムデハル形式の古城。主城郭の全構とその周囲に廻らされた内城壁の一部が残っていて、比較的良好に保存されている。正面の左右に建つ塔は大きさが全く同じなので、正面通路を中心として左右対称になるが、このような例は珍しい。

1977.6.24発行

 ■ ブルゴス県  Burgos

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フリアス城 Castillo de Frias

フリアスは1201年にウルヘル伯爵アルメンゴールから、他のいくつかの領地と引き換えにカスティーリャ王アルフォンソ8世に譲渡され、現存する城塞も、最古の部分はこの頃の建設と考えられている。ローマ時代から集落があったことは確認されており、この城塞もその前に存在した城の跡に建設されたとの説もあるが、史料による裏付けはない。15世紀前半まで、東国境の重要な戦略拠点として、歴代カスティーリャ王直轄の所領だった。中腹が窪んだ断崖の上に張り出すように塔が建っており、城が修復される前には、崩れ落ちてくる岩のせいで、死者が出たこともあったという。

1968.7.29発行

 ■ ナバラ県  Navarra

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オリテ城 Castillo de Olite

パンプローナの南方42kmのところに位置する、ナバラ王国時代の城郭宮殿。13世紀から存在する旧宮殿には、ローマ時代の城壁跡も残っている。15世紀にはカルロス3世によって王の夏の宮殿として改修され、1415年前後まで増改築が繰り返された。ナポレオン軍の進駐にともなって破壊されて以来荒廃し、1925年以降40年の歳月をかけて修復された。現在では国営高級ホテルとなっている。周囲には濠を持たず街に隣接しており、建造物も城郭型の配置形式をとらず雑然と乱立しているという、大変珍しい形式。

1966.8.13発行

 ■ ウエースカ県  Huesca

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ロアレ城 Castillo de Loarre

ウエースカの北23kmほどに位置する岩山の頂上に築かれた城郭僧院。四方を峻険な断崖で囲まれた要害の地である。1016-25年にかけて、当初は城郭としてのみ建造された。1072年に僧院の建設を中心として城郭の拡張工事が着手され、8年後に完成して本格的な城郭僧院となった。窓や列柱上の連続アーチは半円形をなしていて、ロマネスク様式の特徴を示している。

1967.8.11発行

 ■ トレド県  Toledo

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エスカロナ城 Castillo de Escalona

エスカロナ市の郊外、タホ河の支流であるアルベルチェ河に面した丘陵上にある。陸地側の城壁には壁塔を設け、外側に空堀を廻らして防御態勢を固めてある。保存状態はあまり良好でなく、わずかにトレ・デル・オメナヘ部分だけが偉容をとどめている。

1968.7.29発行

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グワダムル城 Castillo de Guadamur

トレドの西南西15kmのところに建つ。1444-64年にかけてペドロ・ロペス・デ・アヤラによって構築されたが、その後荒廃し、現在の姿は19世紀末に大々的な復元修理を行ったものである。主城郭の一隅にトレ・デル・オメナヘを設けることはムデハル様式ではふつうに見られる様式だが、この城のように主城郭に対するトレ・デル・オメナヘの割合が極めて大きく、主城郭の方が付随する格好になってしまっている例は珍しい。

1966.8.13発行

 ■ アルバセテ県  Albasete

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アルマンサ城 Castillo de Almansa

ヴァレンシアから西南に120キロのところにある。ムルシアとヴァレンシア両王国の前線に位置していたため、サラセン支配当時は軍事的に重視された。1310年まではレコンキスタを行った聖堂騎士団に所属していたが、その後アラゴン王ハイメの所有となる。1707年のスペイン王位継承戦争では、この城を中心に戦闘が行われた。広い平野の中に突き出た岩山の上に築かれたこの城は、天然の要害を用いているため、どこからも攻略は難しい。城のトレ・デル・オメナヘはひときわ高く、城壁と2つの大塔がそれを守るように岩山を占領している。20世紀初頭に復原的修理が加えられている。

1966.8.13発行

 ■ クエンカ県  Cuenca

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ベルモンテ城 Castillo de Belmonte

マドリッドの東南160キロのところに建つ。15世紀にカスティーリャ王位を巡る内戦で暗躍したビリェーナ伯ファン・パチェーコによって建てられた。19世紀にナポレオン3世皇妃ウージェニーとその甥ペニャランダ伯爵によって修復されている。ほとんど完全な形で残っていて、六角形をしており、各コーナーには大きな塔が付随している。この大きな塔と塔のあいだにはさらに小さな塔がつくられていて、城の防備はほとんど完全である。内庭の正面には半円柱状のいかめしいトレ・デル・オメナヘが立っている。城の窓は装飾が施されていて大変美しい。内部にも部分的にではあるが装飾が残っており、大広間には16世紀に使われた家具などが置かれている。

1967.8.11発行

 ■ カセレス県  Caceres

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ハランディーリャ城 Castillo de Jarandilla

12世紀にテンプル騎士団の騎士修道士によって最初の城が築かれた。サンタ・マリア・デ・ラ・トーレ教会は、このころに建設された要塞がもとになっている。1369年、エンリケ2世によりフェルナンド・アルバレス・デ・トレドに与えられ、現パラドールである城館は、15世紀にフェルナンドの孫のフェルナンドが建設したもの。中は宮殿風で、パティオに面した二階建てギャラリーが美しい。ここから西に10キロ離れたところに、カルロス1世が1558年に亡くなるまでの晩年を過ごしたユステ修道院があり、1555年に譲位を宣言した後、1556年11月から修道院内の邸宅建設が終わるまでの3か月間をこの城で過ごしたという。

1967.8.11発行

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グラナディーリャ城 Castillo de Granadilla

1446年にアルバレス・デ・トレドがグラナディーリャを領有し、市壁の外に建つこの城は、1470年代に彼の一族により建設されたものと考えられている。1830年まで同家が領有し、周辺地域の行政の中心になっていた。矩形の塔とその四方に半円塔が付いただけの小ぶりな城で、市壁には塔がないため、望楼の機能を果たしたものと考えられる。外部に向かっては城壁がなく、一方村側にある入口は厳重に防備されている。1960年代、すぐ近くにダムが建設され、周囲の土地が水没して廃村となるが、市壁はその後修復された。

2004.7.1発行

参考文献:『スペイン・ポルトガルの古城』 太田静六・著 吉川弘文館
      :『新版・ヨーロッパの城』 井上宗和・著 現代教養文庫
      :『ヨーロッパの名城』 井上宗和・著 新人物往来社
参考サイト:スペイン屋

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