Chateau

フランス編

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サン・ジェルマン・アン・レイ城 Château de St. Germain-en-Laye

パリの西20qほど、セーヌ川が大きく湾曲しているところの左岸の丘の上に建つ。要害の土地であり、パリにも近いところから、古くから集落があったが、12世紀になってルイ6世によって城が築かれた。 1230年にはルイ9世、1368年にはシャルル5世によって離宮ながら城塞として改装された。1539年にはフランソワ1世によってルネサンスの宮殿風に造り直されたが、一部の塔と礼拝堂はシャルル5世当時のまま残された。建物は不規則な五角形で、城のそばにあるサン・ルイ・チャペルは有名である。城の濠には、今は水が無くなり、一部分は埋められてしまったが、昔は水が満ちていた。この城のテラスから望むセーヌ川とパリの遠景は有名であり、テラスにつづく森もまた、美しい。ヴェルサイユ宮が造られるまでのフランス王朝の宮廷であり、ルイ14世はここで生まれた。現在では城内に歴史博物館がある。

1967.6.17発行

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シャンボール城 Château de Chambord

ロワール川ぞいにある古城の一つ。1519年にフランソワ1世によって、もともとあったブロワ伯家の狩りの館を取り壊して建てられた。外形は中世城塞を真似てあるが、戦いに対する備えは全くない。主館の中央を占める螺旋階段はレオナルド・ダ・ヴィンチによるものといわれ、建築学上の傑作とされている。当初はまわりに堀があり、城館の正面には庭園があったのだが、のちにド・サックス元帥に下賜された際、練兵場に変えられてしまった。ロワール川の支流コソン川が引き込んであるが、壮大なことを好むフランソワ1世は、はじめロワール川自体の流路を変えることを考えていたという。城館は部屋数440という規模を持ち、子のアンリ2世の時代に完成した。国事多難だったせいもあってその後の国王たちはごくたまにしかこの城に滞在せず、また中世の城に比べてはるかに広い部屋であるにもかかわらず、一番上座に暖炉が一つあるだけなので、たまに国王が滞在することがあると、付き従っている大勢の者たちは寒さに困ったと伝えられている。

1952.5.30発行

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シュリー・シュル・ロワール城 Château de Sully-sur-Loire

オルレアンの町からロワール川にそって東南に約42kmのシュリーの町に建つ。ガロ・ローマン時代から砦があったと考えられ、11世紀には要塞があったことが史料に残されている。1218年にはフィリップ2世が本丸を築いている。百年戦争中はシャルル7世のお気に入りの部下、ジョルジュ・ド・トレモアが城主であり、フランス軍の重要な基地の一つだった。後に城塞から居住性のある城館にと改築され、かつてはロワール川の流れに直接面していた城地も今では川との間に堤防ができて分離され、静かな流れの小川と水濠にかこまれている。

1961.10.7発行

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アンボワーズ城 Château de Amboise

ローマ帝国時代、ロワール川の浅瀬を支配するために砦が築かれたのが起源。中世には橋が架けられ、11世紀初めにアンジュー伯フルク3世が石造りの城塞へと改造した。1496年、イタリア遠征でルネサンスにふれたシャルル8世はイタリア人の建築家や彫刻家など22人を連れ帰って、すでに進行中だったこの城の改築工事に従事させた。堅固な城壁は残したまま、城館はルネサンス様式に増改築され、フランスで初めての幾何学模様の庭園も造られた。この後、城は何度か破壊と修復が繰り返されたが、この時代の建物は、城塞の一部と聖ユベール大聖堂がわずかに残っている。16世紀の宗教戦争の時代には「アンボワーズの虐殺」の舞台にもなった。

1973.6.23発行

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カーン城 Château de Cean

ノルマンディー公ギョーム1世(イングランド王ウィリアム1世)によって1060年頃に建てられた。西ヨーロッパでも最大級の中世城砦である。息子のヘンリー1世は聖ジョルジュ教会、キープ(1123)、大ホールを建設した。1182年のクリスマスには、ここにヘンリー2世とその息子たち(のちのリチャード獅子心王とジョン欠地王)、1000を越える騎士たちがつどい、クリスマス祝祭を行った。1204年にはフランス王の所有となり、フィリップ2世によって防備が強化された。百年戦争中にはなんどか交戦が行われ、1793年、フランス革命の間に国民公会の命でキープが低くされた。第二次世界大戦中には兵舎として使われ、1944年に爆撃によって大幅に損壊した。
門の全面には空堀と堅固な枡形を備え、門自体には跳ね橋と石落としが付いている。現在敷地内にはノルマンディー博物館などがある。

1963.6.1発行

【郵趣連合会議】

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マルメゾン城 Château de Malmaison

パリから西に1時間ほど離れた場所にある。1622年に建てられたネオ・クラシックの建物で、1799年にナポレオンとジョセフィーヌが購入。以来ジョゼフィーヌが自分好みに手を加え、亡くなるまでを過ごした。のちにナポレオンが国政を指揮する舞台ともなり、たくさんの議会、レセプションが行われた。ジョセフィーヌはバラの栽培にも情熱を注ぎ、世界中からとりよせた250種にも及ぶバラをこの城のバラ園で栽培したという。現在、中は美術館となっており、ナポレオン栄光の時代の肖像画や彫刻作品などが展示されている。

1976.4.10発行

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フージェール城 Château de Fougéres

ブルターニュ公が辺境防衛のために封臣を配して築かせたナンソン川を天然の堀としていた要害。ヨーロッパ最大の中世の要塞の一つ。1166年にイングランドのヘンリー2世によってもとあった木製の砦は焼失したが、ラウル2世によって石造りで再建された。3つの郭は堅固な城壁をめぐらし、大小合わせて13基の塔を擁する。

1960.1.16発行

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マントノン城 Château de Maintenon

12世紀には建設が始まり、ドンジョンは13世紀に砂岩で建てられた。1509年に財務長官ジャン・コトローによってルネサンス様式で改築された。1674年12月、モンテスパン夫人とルイ14世の間の庶子の養育係であったフランソワーズ・ドービニェがマントノンの所領とこの城を購入。王の庶子たちはこの後この城で暮らすようになり、1678年フランソワーズはルイ14世から所領にちなんでマントノン侯爵夫人の称号を与えられた。後に王は彼女と秘密結婚したと伝えられる。 このころル・ノートルによって公園が設計された。噴水のために80キロ離れたウール川から水道橋で水を引くことが計画されたが、完成することなく1688年に放棄された。

1980.6.7発行

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セダン城 Château de Sedan

アルデンヌ地方にある中世の要塞。1424年頃、 エーベルハルト2世・フォン・デア・マルクが6年以上をかけて教会の周りに2つの塔のある邸宅を建てた。彼が1440年に死ぬと、息子のジャン・ド・ラ・マルクが要塞の強化を始め、孫のロベール2世の時代に完了した。1530年には大砲のあるテラスなどが建設された。1699年には大砲の進歩に対応して「王子の扉」がつくられ、1822年にはサンマルタン教会が取り壊されて砲弾庫になった。1870年9月、普仏戦争中にナポレオン3世はここでプロイセン軍の捕虜になった。

1971.6.12発行

参考文献:『新版・ヨーロッパの城』 井上宗和・著 現代教養文庫
      :『王の城と王妃の宮殿物語』 井上宗和・著 グラフィック社
      :『ヨーロッパの古城と宮殿』 藤井信行・著 新人物往来社
      :『ヨーロッパ100名城公式ガイドブック』 紅山雪夫・文 河出書房新社

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