卒論で扱ったのが“百年戦争と低地地方(今のベルギー・オランダのあたり)”だからといって、ヤコプ・ファン・アルテフェルデを取り上げたわけではないのです。こちらが調べているのはイングランド王エドワード3世と王妃であるホラント・エノー伯女フィリッパの姻戚関係と当時の外交の関係。エドワードの出した「羊毛輸出禁止令」をきっかけに、フランスべったりのフランドル伯に対して反乱を起こしたヘントの商人のリーダーの話なぞ、ほとんど関係がありません。
ジャンヌ・ダルクに比べれば同時代の同地域、親近感は比ではありませんが、なまじ近いだけに、文献調べにあたって、圧倒的に多いこちらの話が大変よく引っかかってくれたんですよね・・・。たまにはこちらのテーマに関係のある話を、ってうんざりしたんだったなあ、などと思いながらヘントの銅像にお目にかかってきたのでした(笑)。
もとはといえば、大学入学以後すっかり永井路子さんのファンになってしまったのが問題だったのでした。どうせ手間暇かけて調べものをするんなら、やっぱり興味のあるテーマを選びたい。やめといた方が身のためだとは思いつつ、やっぱりやりたいのは婚姻外交、になってしまったのです(笑)。
とはいえ、政治史で女性が取り上げられることは滅多になく、といって女性史を当たってみても、こちらは社会史の系統ですから、一般庶民が中心で貴族の女性の話など出てこない。一般書でも、中世ヨーロッパの王妃様が対象だと、『イギリス 王妃たちの物語』(石井美樹子著 朝日新聞社)があるくらい。という時点で、メインになるのはイングランド、時代はノルマン・コンクエストから百年戦争あたりのあいだ、ということは英仏関係史から選ぶことになるかな、と、ここまで絞るのは簡単だったのですが。
最初に取り上げようと思ったのはアリエノール・ダキテーヌ。何たって研究の数があるのはこの人くらいです。しかし、実際何をテーマに持ってこようかと考えると・・・、乏しい頭で思いつくようなことはみんな書かれちゃってるような気がしてきてしまう(汗)。これは無理そうだ、となって次に考えたのがヘンリー3世の時代。フランス王ルイ9世と王妃同士が姉妹だし、と思ったのですが、あんまり信頼できる研究がないのでやめた方がいいのでは、とのアドバイスをいただいてしまいます。それでは、というので時代はさらに下ってエドワード1世の時代。娘の嫁ぎ先がバール伯、ブラバント公、ホラント伯、と低地地方に集中しているので、羊毛交易にからめて何か書けないか、とふんでみたのですが、プレストウィッチのエドワード1世伝を拾い読みする限り、娘の結婚についてはろくすっぽ記述がないのです。当時のイングランドと低地地方の関係についての本もないではなかったのですが、これがいかんせんフランス語。すでに中間報告目前。今更一からフランス語勉強してる暇なぞない! どう見ても残り数ヶ月で結論までもっていけそうもない、となればこれも却下。
見切りをつけたはいいものの、代わりのテーマは見つけねばならぬ。せっぱ詰まって系図を睨んでるうちに思い出したのが、以前何かの本で読んだ文章でした。「フランス王家がカペー朝からヴァロワ朝にイングランド王家との血縁が薄くなって」云々というような内容だったんですが、これが引っかかった。載ってる系図をほとんど見たことがなく、したがって知られてないことと思うのですが、エドワード3世の王妃フィリッパの母親ジャンヌ・ド・ヴァロワの兄は、エドワード3世が戦った他ならぬその相手、フランス王フィリップ6世なのです。これは『王妃たちの物語』だったか、フランスと戦うにあたって舅のエノー伯がエドワードを援助した、ってなことが書いてあったんですが、婿と亭主が組んで自分の兄と戦争しようってんだから、奥様が何もしなかったってのはちと想像しにくい。おまけに王妃フィリッパの姉は神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の皇后。在位のほとんどの間破門喰らってたこの皇帝が、戦争と無関係だったとも思えない。(当時の教皇庁があったのはアヴィニョン。もちろんフランス王の影響力大。)王妃の妹の夫ユリッヒ伯は、1340年に何とケンブリッジ伯になっている!
面白そうな一家だな、と考えたところで、どうせ史料が読めるわけでなく、二次文献がなけりゃこのテーマでだって書きようがないのですが、 The Low Countries and the Hundred Years' War 1326-1347 という概説書が存在することは存在する。英独外交史(エノー伯領は帝国領)の概説書は入手済み(ドイツ語なら、辞書引きまくれば大体の意味は分かる;汗)。使えるかどうかはともかく、百年戦争の概説書なら、ちらほら検索に引っかかってくるし、多分これが一番文献があるんじゃないのか。
というわけで、二転三転四転の末、実際に書いたテーマにたどり着くまでに、200年時代を下ってしまったのでした(汗)。
しかし、すんなり話が進まないのはこれとて同じ。
あまり当てにしていなかったとはいえ、百年戦争くらいメジャーなテーマなら何か一つくらいはあるんじゃないか、と「Hundred Years War」ではなくて「百年戦争」から検索にかけてみたのですが、これがみごとに概説書の一冊も無いのです(山川出版社から出ている3巻本のフランス史の第一巻の説明が一番詳しいくらいではないでしょうか)。コンピューターばかりでなく人間様にもあたってみたのですが、「見たこと無いねえ」の返事ばかり。・・・しばし呆然。
考えてみれば、結構人気があるような気がするブラック・プリンスでも、読み物の一冊も見たことが
ありませんし、子供の頃読んだ「マンガ世界の歴史」か何かで白髪頭のエドワードに30半ばくらいのフィリップ6世を書いたもんがありましたっけ。(開戦当時エドワードは25歳。フィリップは44歳です。おかげで刷り込まれたイメージを払拭するのにえらい苦労しました・・・)
百年戦争クラスの話でも、ジャンヌ・ダルクがでてこないとお話にならないのね、とため息をつきつつ横文字文献の検索に取りかかったのですが、先に挙げたルーカスの概説書って、1929年の出版なのでした。そう、オンラインで探せるデータベースに入っている可能性がめちゃくちゃ低い! 案の定ヒットゼロ。文学部の図書館のカード検索にも該当無し。もちろんアマゾンで手に入るわけもなく、外国の図書館に取り寄せかけてた日には〆切には絶対に間に合わない。結局、総合図書館のカードを検索するのを忘れてたことに気づき、閉架書庫でめでたく発見できたのですが、見つからなかったら・・・今頃どうなっていたものやら(冷や汗)。
ともかく、経過の詳細な記述は手に入ったわけで、
婚姻外交に関しては Parsons, J.C. "Mothers, Daughters,Marriage,Power: Some Plantagenet Evidence,1150-1500" in Medieval Queenship ed. J.C.Parsons, New York という文献をすでに入手済み。語学力の不足のおかげで、細かいところを把握するのに悪戦苦闘しつつ、(帝国内でのハプスブルクとルクセンブルクとヴィッテルスバッハの三つどもえの状況については、卒業後、ツェルナーの『オーストリア史』(リンツビヒラ裕美・訳/彩流社)の翻訳が出たのを読んで、これが卒論の時に使えれば楽だったのに! と地団駄踏んだ。)なんとか章立てなんかの目処も立ち、いよいよ書き出し。あとはイメージを文章にうつす苦労だけか、と思ったのですがこれまた甘かった。
塩野七生さんの『イタリア遺聞』に「人名地名で苦労すること」という一章があります。卒業後にこの本を手に取った私、たいそう楽しく読ませていただいたのですが、それというのも、自分も頭を抱えることがしばしばだったからなのでした。婚姻外交を扱っている以上、女性を嫁ぎ先の表記にすると「フランス王女キャサリン」なんて書く羽目になるので、これは出身地の言語で書くことにしたのですが。
引っかかったのは王妃フィリッパの実家、アヴェーヌ家の人間の表記についてです。幸いにして英独仏蘭の何語でもフィリッパはフィリッパだからいいんですが、他の人間をどう書くか。
というのもエノーはワロン語(=フランス語)。ホラントは、これがなまってオランダになったくらいだから当然オランダ語。それじゃ、エノー伯兼ホラント伯、は一体何語で表記すりゃいいんだ! てことになるんです。「ホラント伯ウィレム3世(エノー伯ギョーム1世)」なんていちいち書いてもいられませんし。
それが煩雑だから、とはなからラテン語表記する先生もいらっしゃるのですが、やっぱり「イングランド王ヘンリクス」なんて書かれるとなんかイメージが湧かない・・・
結局、もともとエノー伯だったのがホラント伯を兼ねたんで、居城があったのもエノー領内なんだよね、とは思いつつ、ホラント伯としての方が知られていることを考慮してオランダ語表記にしましたが、アンリもハインリヒもエンリケもみんなヘンリーにできるヨーロッパ言語って楽だよなー、と何度思ったことか・・・。
オランダ語ってマイナーなのね、と思い知らされることもしばしば。
例えばルートヴィヒ4世の皇后マルハレータ、日本語文献では「マルハレータ」、英語文献では「Margaret」、ドイツ語文献では「Margarete」と表記されます。論文を書くにあたっては、カタカナの後ろには原綴を付すことになっているのですが、参考文献を読んでる限り、オランダ語の綴はどこにも出てこない! まあこのくらいなら、人名辞典の対応表を見れば載ってます。しかし、エドワード3世の妹の結婚相手はヘルレ伯「レイナウト」というのですよ・・・
地名を調べたくて地名辞典を引けば堂々とドイツ語読みが載ってたりするし(おかげでヘルレとゲルダーラントが同じものだと分かるのにえらく時間がかかった)、載ってないような地名、例えばNijmegen」の読みを調べたくてオランダ語の辞書を引こうと思っても、図書館には見あたらず、本屋にも置いてないときてます。ドルドレヒトやナイメーヘンくらい、『地球の歩き方』見れば話が早かったんだ、と
後になってオランダ旅行の計画を立ててる時に気付いた次第。
とにもかくにも提出日前の2日を徹夜し、当日印刷製本をやって、提出にこぎつけたわけですが、かような悪戦苦闘の結果、絶対に「ガン」「ブリュージュ」なんて書くもんか、と「ヘント」「ブルッヘ」に固執する人間が一人できあがってしまったのでした(笑)。
もっともオランダ語の子音のG、カタカナで書けばハヒフヘホになるんですが、のどをこすらして出すような音なんですね。ヘント行きの切符を買うとき、この発音真似してなかなか通じなかったんですから、日本語風に「ヘント」なんて言った日には全く通じなかった筈。「ホッタイモイジルナ」式発音でいけば、素直にガギクゲゴで読んでしまった方が近いんじゃ、と思うこの頃ではありますが。
以下本文とはほとんど関係がありませんが・・・