西洋歴史ミステリ

時の娘  The Daughter Of Time
ジョセフィン・テイ  Josephine Tey
小泉 喜美子 訳  ハヤカワ・ミステリ文庫
凶悪犯逮捕の際に負傷して入院中、退屈をもてあましていたグラント警部は、見舞いとして贈られた肖像画の一枚が、悪名高いリチャード3世のものと知って興味を抱く。自分が接した犯罪者の表情とは似ても似つかない。彼は本当に伝説どおりの人物なのか? アメリカ人青年キャダラインという助手を得て、史料をあたっていくうちに、意外な事実が明らかになっていく・・・。

“謎解き”の面白さを十分に味わえるミステリです。結論が作者の独創ではないということで江戸川乱歩氏は「やや失望」されたそうですが、珍妙奇天烈な「独創的作品」を読まされるよりよっぽど安心して読めるというもの。
「歴史とは、彼にはとうてい理解の及ばぬ代物だ」という最終章のグラント警部の科白、歴史上の人物の評価の難しさを表していて実感です。方や2人の甥を殺したといって悪の権化になってるかと思えば、一つの家系を計画的に根こそぎにした方は「頭のいい、先の見通しのきく君主」ですものねえ・・・

一つだけ気になるのが「バーガンディ公」という表記。ええ、「ブリュージュ」を「ブルッヘ」にとまでは言いませんから、せめてこれくらいは「ブルゴーニュ公」と書いてほしいものです。

作者及び他の作品

赤の文書  L'Écrit rouge
ユベール・ド・マクシミー  Hubert de Maximy
篠田 勝英 訳  白水社
1411年2月末。ボルデル門の近くで代書屋を営む主人公。かつてソルボンヌに学びながら異端の嫌疑を受け、10年間の追放処分のあとパリに戻ってきた。ある日、彼のかわいがっていた猫が羅卒に弩で殺され、それを目撃していたイノサン墓地で売春婦をしていた娘も同じ弩で殺された。何かに追われていたらしい彼女の死の理由を知るべく、代書人は夜の街に足を踏み出した・・・

中世版ハードボイルド風の小説。《怖れ知らずのジャン》とか、当時の重要人物も登場はしますが、ほとんど名前だけなので、政治史的なところに足をとられずに楽しく読むことができました(笑)。事件に首をつっこめば当然命を狙われるわけで、どう身をかわすかというあたりがなかなかスリリング。舞台であるパリの地図がなかなか頭に入ってくれませんでしたが(苦笑)、地下に広がるカタコンブ(石を切り出したあと)の存在はとりわけ印象的でした。
現在形が多用されていたりして、なかなかに独特な文体でもあります。
ところで、読み終えてしょうもないところが気になったんですが、この事件、結局行政側としては誰が取り扱うことになるんでしょう? 話としては一件落着してるからそれでもいいのかもしれませんが、途中までの展開が展開ですからね・・・(笑)。

細かいこと言えば、アルマニャックは公じゃなくて伯ですよね。

修道女フィデルマの洞察 Hemlock at Vespers and Other Stories 
ピーター・トレメイン  Peter Tremayne
甲斐 萬里江 訳  創元推理文庫
自分に恨みを持つ7人を宴に招いた族長は、過去の悪行を自慢げに語ったあと、毒入りの葡萄酒を飲んで動かなくなった・・・「毒殺への誘い」。娘の刺殺体のそばで眠っていた修道士。彼を弁護するべく派遣されたフィデルマは・・・「まどろみの中の殺人」。かつての師と競馬場へやってきたフィデルマ。そこで王の騎手が刺殺され、愛馬が瀕死の状態になって見つかった・・・「名馬の死」。孤島の断崖の下で女子修道院長が死体となって見つかった。謎を明らかにすべくやってきたフィデルマは・・・「奇蹟ゆえの死」。聖ブリジッド修道院に帰ってきたフィデルマは、滞在していた鉱山技師の断末魔の声を聞いた・・・「晩祷の毒人参」以上5編を収録。

修道女フィデルマのシリーズ、実は読むのはこれが3作目だったりします。舞台は古代アイルランドで、それについてのディテールは、確かに読んでいて面白い。ただ、どうも、フィデルマの造形が私の趣味に合わないんですね〜(苦笑)。
王女様で美人で、高位弁護士の資格なんぞ持っていて、おまけに武道の達人ときたひにゃ、そりゃ怖いものないじゃん、と。作者がその点に無自覚なようで、とことん肯定的に描いてくれるもので、よけい鼻につくというかいけすかないというか。どうも感情移入できないキャラクターです。
というわけで、どうものめり込んで読んだというわけにはいかなかったのですが、中で印象に残ったのは「毒殺への誘い」「まどろみの中の殺人」「毒殺への誘い」は、その手があったか! と思える真相でしたし、「まどろみの中の殺人」は、まさしく古代アイルランドが舞台でなければ出てこない動機。これは面白いなと思いました。

エリス・ピーターズ   Ellis Peters
いつだったか、通学途中の中央線に乗っていた時のこと。
目が疲れるので、電車に乗りながらの読書は基本的にしないのですが、隣の人が本を広げていると、つい何を読んでいるのかが気になってしまいます。で、ちらっと覗き見たところが、「女帝モードとスティーブン王の争いが」というくだりが目に入ってびっくり! 
ちょうどイングランド中世史を勉強し始めたところだったため、是非とも読みたい! と思ったものの、残念ながら題名・作者までは分からず手がかり無し。
偶然題名にひかれて借りてきた『納骨堂の多すぎた死体』から「修道士カドフェル」のシリーズであることが分かり、驚喜しつつ図書館に駆けつけて、やっと念願の出会いにこぎつけました(笑)。

主人公カドフェル・アプ・メイリール・アプ・ダフィッズ、名前で分かるようにウェールズ人です。ベネディクト会シュルーズベリ修道院にて薬草係を務めていますが、かつては十字軍に参戦した歴戦の勇士でした。女帝モードとスティーブン王の内乱を背景に、修道院を舞台に起こる事件を彼が解決していきます。作者は1995年にお亡くなりのため、残念ながらもう新作を読むことはできませんが・・・。

一話完結ですが、レギュラー登場人物に変化があったりするので、絶対に順を追って読むべきです(ネタばれになってしまうケースあり)。
余談ですが、この場合“Empress”は「女帝」、「皇后」どちらで訳した方がいいんでしょう? 神聖ローマ帝国の「皇后」ではあったけれど、「女帝」として即位したわけではないですし・・・。けっこう頭を悩ましています(笑)。
『聖女の遺骨求む』

野心家の副院長ロバートが修道院に祀る聖人の遺骨探しに奔走している折、1人の修道士が、夢の中にウェールズの聖ウィニフレッドが現れたと言い出した。修道院では早速、彼女の遺骨を貰い受けようとグウィンセリンに6名の修道士を派遣する。しかし、村人たちは納得せず、話し合いが難航する中、反対の先頭に立った有力者が殺されているのが発見された・・・

宝物殿などが見せてもらえるヨーロッパの教会に行くと、必ず聖遺物の入った箱やら十字架やらにお目にかかれます(切手のコーナー参照)。遺物といっても、十字架の一片だったり服の切れ端だったりする方が珍しく、ほとんどは歯や骨。それを金ぴかの容れ物に入れて麗々しく展示し、またそれを拝みに人が集まるというのは日本人にはちょっと理解しがたい感覚ではあります。仏教にも仏舎利というのはありますけど、「これはお釈迦様の○番弟子の△□様の骨で・・・」なんてものをわざわざ拝みに行ったりなんかしませんもんね(笑)。
大学の時にゼミで『民衆と教会』(テップァー著/創文社)という本を読みまして、言われてみれば東ドイツの学者さんが書いた本だってのも納得、という箇所が散見される(笑)本だったのですが、修道院は聖遺物崇拝を推進することで寄進を集め、また民衆の世論を味方に付けることによって政治における影響力を獲得した、なんてことが書いてあったのを思い出しました。
・・・ところであの聖遺物箱、中身が××だってのにそのまま安置しておいて大丈夫なんでしょうか? ちょっと気になります・・・

『死体が多すぎる』

シュルーズベリの執政官フィッツ・アランが女帝モードに味方する姿勢を示したため、スティーブン王はシュルーズベリを占拠、捕虜となった94人が処刑された。しかし、死体を埋葬するべく城内に入ったカドフェルは、そこに95体の死体を発見する。紛れ込んだ死体はいったい誰なのか? 誰に、何のために殺されたのか?

フィッツ・アランの右腕エイドニーの娘の行方や、持ち出された城の宝のありかもからんで、スリリングなストーリーに仕上がっています。
ヒュー・ベリンガーの役どころについては・・・みごとにだまされました。

『修道士の頭巾』

モーリリー荘園を修道院に寄進するべく滞在中だった荘園領主ボーネルが毒殺された。使われたのはカドフェルが調合したトリカブト(この別名が“修道士の頭巾”)を含む油薬。疑いはボーネルの連れ子エドウィンにかかるが、彼の母親はカドフェルが十字軍に参戦する前に将来を約束したリチルディスだった・・・

イングランドからウェールズに食い込むような位置にあるモーリリー荘園。
イングランドとウエールズの法律の違いが殺人の動機になっているあたり、一つ勉強になりました。
それにしても、ペトラスのつくったヤマウズラの煮込み、美味しそう(笑)。

『聖ペテロ祭の殺人』

8月1日から3日間、修道院では各地から商人がやってきて盛大な祭りが行われ、町はにぎわう。しかし、今年は収益をめぐって修道院と町民の間にいざこざがあり、祭りの当日、ブリストルからやってきた商人が死体で発見された。町長の息子が逮捕されるが・・・

新修道院長ラドルファスの許可も得て、晴れて大手を振って捜査に乗り出すカドフェル(笑)。
このストーリー展開だったら犯人この人しかいないじゃん、と思うことの多いこのシリーズですが(動機の点はともかく)、これは・・・半分以上を読むまで見当つきませんでした。そして見当のつくところで場面はスリルとサスペンスに。うまいです(笑)。

『死への婚礼』

婚礼当日、初老の花婿が死体で発見された。花嫁は18歳、広大な領地の相続人だが、後見人である伯父夫婦によって強制的に結婚させられようとしていた。殺人の疑いをかけられた、花嫁に恋をしていた花婿の従者は、ラザラスと名のる老患者の手引きで、セント・ジャイルズの施療院(ハンセン病患者を収容)に逃げ込んだ。花嫁がかつての十字軍の英雄の孫と知ったカドフェルは・・・

有能な助手であったマークが施療院に入ってしまい、代わりに助手となったオズウィンの 不器用さに閉口するカドフェルの描写が笑えます。

『氷の中の処女』

1139年冬、女帝の軍勢に攻められたウスターからの避難民の中にいるはずの貴族の姉弟が行方不明になった。一帯は夜盗が暴れ回り、あちこちで虐殺が行われていた。捜索に出たカドフェルは弟を見つけた帰途、凍結した小川の中に凍りついた娘の死体を発見する。姉かと思われたその死体は、二人と行動をともにしていた修道女だった・・・

気の強いアーミーナ、年齢相応にしっかりもんのイーヴ。この姉弟のキャラクターがなかなか良いです。謎が面白い割に動機がね・・・って感じはありますが。

『聖域の雀』

マタン(夜半の祈り)の最中の教会に、一人の若者を追って群衆がなだれ込んだ。彼は金細工師の家で結婚披露宴の余興の芸をしていた旅回りの芸人で、その家の主人を殺して金銀を奪った疑いをかけられていたのだ。庇護権を盾に若者は修道院にかくまわれるが、やがて金細工師の隣家の男が殺された・・・

解説の表現を借りれば『中世版 俺たちに明日はない』。例によって優等生のカップル2人よりも、犯人の方が印象は強烈でした。この意志の強さと行動力、別の生かし方はなかったものかと・・・。

シリーズ作品リスト        社会思想社 現代教養文庫 ミステリ・ボックス
『聖女の遺骨求む』
A Morbid Taste for Bones
訳:大出健
1977
『死体が多すぎる』
One Corpse Too Many
訳:大出健
1979
『修道士の頭巾』
Monk's-Hood
訳:岡本浜江
1980
『聖ペテロ祭の殺人』
Saint Peter's Fair
訳:大出健
1981
『死への婚礼』
The Leper of Saint Giles
訳:大出健
1981
『氷の中の処女』
The Virgin in the Ice
訳:岡本浜江
1982
『聖域の雀』
The Sanctuary Sparrow
訳:大出健
1983
『悪魔の見習い修道士』
The Devil's Novice
訳:大出健
1983
『死者の身代金』
Dead Man's Ransom
訳:岡本浜江
1984
『憎しみの巡礼』
The Pilgrim of Hate
訳:岡達子
1984
『秘跡』
An Excellent Mystery
訳:大出健
1985
『門前通りのカラス』
The Raven in the Foregate
訳:岡達子
1986
『代価はバラ一輪』
The Rose Rent
訳:大出健
1986
『アイトン・フォレストの隠者』
The Hermit of Eyton Forest
訳:大出健
1987
『ハルイン修道士の告白』
The Confession of Brother Haluin
訳:岡本浜江
1988
『異端の徒弟』
The Heretic's Apprentice
訳:岡達子
1989
『陶工の畑』
The Potter's Field
訳:大出健
1989
『デーン人の夏』
The Summer of the Danes
訳:岡達子
1991
『聖なる泥棒』
The Holy Thief
訳:岡本浜江
1992
『背教者カドフェル』
Brother Cadfael's Penance
訳:岡達子
1994
『修道士カドフェルの出現』
A Rare Benedictine
訳:岡本浜江・岡達子・大出健
  1988

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