ジョセフィン・テイ   Josephine Tey
『ロウソクのために一シリングを』

英国南部の海岸に、女の溺死体が打ち上げられた。まもなく身元は映画女優のクリスティーン・クレイと判明。彼女の髪にコートからむしりとられたボタンがからまっていたことから他殺が疑われ、容疑は彼女の別荘に滞在していた青年ティズダルにかかるが、警察の動きを知った彼は姿をくらましてしまう・・・

グラント警部、どうも快刀乱麻を断つ名探偵というよりは、こつこつ足で稼いで真相にたどり着くプロの警察官という人物設定になっているようですね。探偵役としてはむしろ、地元署長の娘・エリカの大活躍の方が印象に残る感じ。なかなか個性的なキャラクターがお気に入りです(笑)。
一気に読ませるという感じではありませんが、最後までなかなか謎はほぐれませんし、全ての登場人物に存在感があって、じっくり楽しめるミステリです。

ちなみに、ポケミスの解説は宮部みゆきさん。ヒッチコックの「第3逃亡者」の原作になった作品なのだそうです。


『フランチャイズ事件』

フランチャイズ家という屋敷に住むシャープ母娘に誘拐の疑いがかけられた。ベティ・ケーンという娘が、1カ月の間監禁されて家事労働を強いられ、拒否すると暴行を加えられた、と申し立てたのだ。弁護士ロバート・ブレーヤーは娘のマリオン・シャープの頼みで事件を調査することになったが・・・

私が読んだのは昭和62年の再版なんですが、昭和29年の初版をそのまんま印刷したものらしく・・・いやあ読みにくかった! おっしゃるは「仰言る」だしアイルランド人は「愛蘭人」、「ホリーウッド」てのはハリウッドのことでしょうか、小さい「つ・や・ゆ・よ」がみんな大きいし、印字もいまいちときてるのですね。古さを感じさせない内容だと思いますがいかんせん・・・求む改訳。
グラント警部も登場しますが、ほとんど見せ場はありません(笑)。
ペリイ・メイスンシリーズの『放浪処女事件』に似てるかな、と思ったんですが、記憶違いかも。


『歌う砂 グラント警部最後の事件』

神経症のために休暇をとったグラント警部。静養のためにスコットランドの田舎へ向かったところ、終着駅で、B7の個室から一人の男が死体で発見された。死体が持っていたと思われる新聞の余白に奇妙な詩が書きつけられているのを見つけたグラント警部だったが、他に不審な点は見られず、そのまま事故死として処理された。しかし、その奇妙な詩と死体の顔はグラント警部に強い印象を残し・・・

普通の謎解きもののように、すべての細部が謎解きに収斂していく、という小説じゃないので、謎解きだけ楽しみにして読むと、まどろっこしいかもしれません。どうもメインになっているのは、グラント警部の神経症(閉所恐怖症?)からの回復、のようです。そして「休み中には妙なことを考えるものだ。辞職して牧羊か何かして、結婚するつもりになっていた。」というラスト。50年以上前に書かれた作品だということを考えると、仕事に生きて結婚しない男ってのは、とっても斬新な設定なんじゃなかろうかと思います。結婚て逃避なのかしら(笑)。
ウバールという遺跡がこの事件のキーになっていることに、個人的にはとても興味を引かれました。実際には1992年に発見されたこの遺跡、世界遺産にも登録されているのだとか。発掘者による『アラーが破壊した都市』という本があるそうなので、是非読んでみたいと思っています。


『美の秘密』 

女優のマータ・ハラードを誘ってディナーに行こうと、作家ラヴィナ・フィッチの出版記念パーティーにやってきたグラント警部。そこで作家の甥・ウォルターを捜しているという美貌の青年リスリイ・シャールに声をかけられた。ラヴィナに誘われてサルコットの村に滞在することになったリスリイ。しかし、彼の出現により、ウォルターとその婚約者リッツ、リッツの母エマ、との間に微妙な空気が漂うように。共同で本を出版することになったウォルターとリスリイはカヌーによる撮影旅行に出発したのだが・・・

初版は『フランチャイズ事件』に同じく昭和29年。英語で読むよりは楽だと思いますが・・・読みにくさは上記に同じ。
そうきたか、という感じのどんでん返しは面白かったですが、よく考えるとちょっと無理があるかも。というわけで、ミステリとしては素直に評価できないところもありますが、なかなかしゃれた心理小説ではあると思うので、改訳が出るといいなあと思います。

シリーズ作品リスト           ハヤカワ・ポケットミステリ
『列のなかの男』
The Man in the Queue
訳:中島 なすか
〈論創海外ミステリ〉
1929
『ロウソクのために一シリングを』
A Shilling for Candles
訳:直良和美
1936
『フランチャイズ事件』
The Franchise Affair
訳:大山功
1948
『美の秘密』
To Love and Be Wise
訳:河田清史
1950
『時の娘』
The Daughter Of Time
訳:小泉喜美子
1951
『歌う砂』
The Singing Sands
訳:鹽野佐和子
〈論創海外ミステリ〉
1952
『魔性の馬』   Brat Farrar 堀田 碧 訳  小学館

孤児院に育ち、メキシコやアメリカを放浪してイギリスに帰ってきたブラット・ファラー。彼がかつての隣人・アシュビィ家の息子にそっくりなことに目をとめた飲んだくれの役者ロディングは、彼を、行方不明になっているアシュビィ家の長男・パトリックに仕立てることを計画する。ロディングに説得され、アシュビィ家に乗り込むことにしたブラットだったが・・・

実は設定が“成りすまし”だと知ってしばらく読むのを躊躇しました。個人的な理由ですが、スリルとサスペンスの中では、その登場人物に感情移入できない分、一番心臓に負担のかかる設定なので・・・(小心者なのです)。
しかし、躊躇することなかった、と思ったくらいに面白い小説でした。登場人物がそれぞれ生き生きしているし、物語の展開もスムーズで、だんだんと姿を現す謎もあり・・・。 ちょっと古風ともいえますが、最後の後味もとてもいいものです。馬の出てくる小説としてもなかなか印象的でした。なんといってもあのティンバーが・・・

馬の事故で死んだウイリアム・ルーフスって、ウィリアム“赤顔”王のこと? 個人的にちょっと気になります(笑)。


『裁かれる花園』   Miss Pym Disposes 中島 なすか 訳  論創社

遺産を相続して教職を辞め、偶然にも出版することになった心理学の本で、一躍ベストセラー作家になったルーシー・ピム。旧友ヘンリエッタに招かれ、彼女が学長を務める2年制の全寮制体育女子大学で、特別講師として講義をすることになった。講義を終えてすぐに辞去するはずが、学生たちにひきとめられて滞在を延ばしていく。しかし、試験監督を引き受けた時にある事件が起き・・・。

事件が起きるのは中盤になってから。それまではミス・ピムの目から見た学園小説といった趣で、事件なぞ起こらなくてもなかなか楽しく読めました。学生や教師の描き分けもさすが。「ナッツ・タルト」ことブラジル生まれのテレサ・デストロの、よそ者ゆえの鋭さみたいなのが、個人的には好きでした(ある意味一番おいしい役どころだな〜と思いつつ・・・)。
原題を直訳すれば「ミス・ピム裁きを下す」で、終盤に入ってミス・ピムはある選択を迫られます。ところが最後に待っていたのはもうひとひねりした真相。しかしまあ、なんともやりきれない結末ですね・・・。

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北村 薫   Kitamura Kaoru
落語の真打ちが探偵役のシリーズがあると聞いて、いい年したおじいちゃんの、典型的安楽椅子探偵を想像していたため、読み始めて大いに予想を裏切られました。春桜亭円紫師匠、第一作の時はまだ40前とお若い方だったんですね(笑)。
語り手である女子大生(『朝霧』では社会人になっていますが)「私」の日常生活の中から“謎”が取り上げられているため、血なまぐさい事件が起きないのが好き。(人の死ぬ『秋の花』はやっぱり読むのが辛かったですが。)

「私」と大学の友達、男の子っぽい高岡の正ちゃんとおっとりした江美ちゃん、という組み合わせもいいです。
“政経学部”があるんだから彼女たちが通ってる大学、W大ですね(笑)。どの作品だったか失念しましたが、大学の図書館は開架でなくて云々という「私」の科白があって、ちょっと笑ってしまいました。(卒論を書く際、一度文献調べに行ったことがあるんですが、確かに使い勝手の悪い図書館でした。K大だったらそうは書かれなかったでしょうに。<大脱線)
『六の宮の姫君』

シリーズ第4作。個人的に一番好きな作品です。
芥川龍之介の同名の作品にまつわる謎を、これは「わたし」が文献を当たりながら調べていくというストーリー。歴史上の事件・人物を架空の物語にからませた話が好きじゃないかわり、こういう“本物”とまともに取り組んだ謎ときはたまらなく好きですね。
単なる謎解きだけでなくて、文献から浮かび上がってくる芥川と菊池寛、その他の作家などとの交友関係が、確かに“人と人との繋がりの哀しさ”をしみじみ感じさせます。

実際、北村氏自身の卒論が基になっているということですが、つい我が卒論に引き比べてしまい、己の手抜き具合を大いに反省(苦笑)。「しかし何が身についたという実感もないうちに、はや大学四年である。信じられない。」というくだり、まさしく実感でした。

追記: 作中にこんなセリフがあります。
テレビの原作にぴったりの本だと思いました。波瀾万丈ドラマが流行ってますけれど、新しく作らなくても『真珠夫人』をやればいい筈です。貴族の衣裳なんかをきっちり作って、いい台本でやれば絶対に面白いでしょう。
ドラマ化するとの話を聞いて、東海テレビにはここからネタを拾った人がいるんだなあ、と大笑いしたのは私だけじゃないですよね〜。

シリーズ作品リスト         創元推理文庫
『空飛ぶ馬』
Flying Horse
1989
『夜の蝉』
Night Cicada
1990
『秋の花』
Autumn Flower
1991
『六の宮の姫君』
A Gateway To Life
1992
『朝霧』
 
1998

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天藤 真   Tendou Shin
現在は創元推理文庫で全集が出ており、そう苦労せずに読める作家さんです。しかし、生前から寡作であった上、1983年にお亡くなりという事情から、ちょっと前までは作品を手に入れるのがとても大変だったとか(なにせ文庫のほとんどが角川だし)。しかし新井素子さんにこんなこと書かれると(『炎の背景』の解説)、出版された本なら探しようもあるけど・・・と古本屋めぐりが嫌いじゃない私なんかは思っちゃいましたけど(笑)。

『日曜探偵』(出版芸術社)の解説で赤川次郎さんとの作風の類似が指摘されておりまして、重苦しくならないユーモア感覚、というあたりは確かに頷けます。しかしながらこちらは寡作なだけあって、ストーリー、トリック、登場人物、どれもが細部まで緻密に練り上げられていてハズレ無し。あっと言わせるトリックながら、トリックだけが浮いていなくて、それに相応しい登場人物までが用意されており、文章も上手くて読みやすいのがお気に入りです。一昔前の日本の推理小説って、やたらと説明調の文章で読むのがしんどいものばかりのような気がするんですが、この作者のものだけは出色ですね。小道具はともかく、内容的にはほとんど古さを感じないです。赤川作品も、選べば結構読み応えのある作品もあるんだけれども、出来不出来の差が激しいような・・・。(それが原因で赤川作品に手が出なくなった私です)。
『大誘拐』 角川文庫

刑務所内で知り合った健次、正義、平太の3人は、出所後、誘拐計画を実行に移した。目標は全大阪府の二倍以上の山を持つ、和歌山切っての名望家、柳川家のとし子刀自。艱難辛苦(笑)の末、なんとか誘拐には成功したが、要求する身代金が5000万と聞いて、刀自は憤然。なんと「100億円」要求しろ、と断固主張するのだ・・・

日本推理作家協会賞受賞作。
映画にもなっているそうで、実はおばあちゃん大活躍であるというストーリー展開くらいは 知ってて読み始めたのですが、とにかく滅法面白かったです。いかにして100億円なんていう法外な身代金を捻出させるか、それをいかにしてつかまらずに手に入れるか、そもそも刀自はなぜにそんな要求をしたのか。設定は奇想天外ですが、ストーリーは緻密です(税金のことまで考慮済み!;驚)。なんたって100億円分の1万円札、ジュラルミンケース1個の受け渡しじゃ済みませんからね〜。

誘拐犯3人組も何か憎めないというか、悪のかたまりのような人間ではありませんし、最後まで一人も傷つかない(精神的にも肉体的にも)のもお気に入りの理由。オール関西弁の科白が、ユーモラスな効果を出しています。

ただ、最初読んだときは外人記者のインタビューはそっくり読み飛ばしてしまいました。 カタカナだらけで読みにくいったらないもんで・・・


『遠きに目ありて』 創元推理文庫

成城署の真名部警部は、とある縁で重度の脳性マヒの少年、岩井信一と知り合いになった。 手みやげにオセロゲームを持っていったところ、たちまち連戦連敗の有様になってしまう。 ある時、事件発生のため約束をすっぽかしてしまったお詫びにと、その事件の経緯を話した ところ・・・

探偵役の少年は仁木悦子さんの『青じろい季節』に登場する脇役がモデルということで、 全体のトーンは何となく仁木作品風です(仁木さんとおぼしき「女性作家」も登場)。
解説にも出てきますが、テレビのリモコンがまだ登場しないあたり、ちょっと時代を感じます。今ならタイプライターじゃなくてパソコンで、漢字仮名交じり文を印刷できるだろうし・・・と思ってはみたものの、道路の段差などはそう進歩してもいないかも・・・

安楽椅子探偵ものの本格推理なんですが、これはフェアじゃないだろうと思うところ1カ所。
第3話「出口のない街」で、手がかりとして「チャンネルの1」という言葉が何度も出てくるのですが、これの意味が分かるのに、ワタクシたっぷり5分間考え込みました。
なんとなれば、例えば月曜の夜8時、チャンネルの1をつけますと、我が家のテレビの画面に映るのは「Hey! Hey! Hey!」。学生時代を東京で過ごしたおかげで、しばらく首をひねってるうちに思い当たりましたが、テレビの1〜3chまでは普通のFMラジオでも聞けるわけを知らない人、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
チャンネルの1が日本全国どこへいってもNHK総合なわけではない! とすでにお亡くなりの作者に抗議しても仕方がないわけですが・・・


『鈍い球音』 感想へ


『皆殺しパーティ』 角川文庫

富士川市長の息子・野方英吾が、東京のラブホテルで隣の部屋を盗聴中、吉川太平の殺害計画を耳にし、相手の正体を知ろうとして殺された。この吉川太平という人物、製紙業から身を起こし、現在はデパート・運輸交通・マスコミなど富士川市のあらゆる事業を一手に握って富士川市の大ボスと呼ばれている存在である。さっそく捜査本部が置かれ、太平の側でも秘書の永倉と、押し掛け探偵を志願してきた現場に居合わせた英吾のガールフレンド三村早苗が、太平に恨みを持つ者をリストアップした。強引な事業拡大でのし上がり、また現在の妻が4人目で複雑な家族関係を抱え、女性関係も派手だった太平に心当たりは多く、その人数は250余名に上った・・・

趣向は“予告殺人”。で題名が“皆殺し”なのだから、周りの人間がとばっちりをくって殺されてしまうなか、主人公がどんどん追いつめられていく、という話の運びになるのかな、と予想したところが見事に裏切られました。実は“便乗殺人”のお話だったのですが、これまたすごい発想ですね。
物語は太平自身が一人称で語る手記の形式になっているので、“信用できない語り手”の面白さもあります。他人の証言が入ると嘘だと分かってしまうようなこともあったりして。正直言って、この吉川太平という人物、どうにもひどい人間なのですが、そんな人間の一人称小説をつっかえずに読ませる作者の巧さに逆に感心しました。
「皆殺し」の看板には偽りになりますが、登場人物のうち2名は殺すに忍びなくなって国外逃亡にしたという、いかにも作者らしいエピソードもあります。
白状すると、ラストに到って犯人たちに拍手喝采したい気分になってしまいました。公害問題の書きぶりがやや時代を感じさせるのですが、結構今の時代にも通用するというか、いてほしい人材だなあなんて思ってしまったりして・・・


『死角に消えた殺人者』 角川文庫

千葉県銚子の断崖絶壁から一台のスポーツカーが転落した。中から死体で発見されたのは年齢性別が全くばらばらの4人の男女。現場の状況から警察は殺人事件と判断、捜査を開始したが、彼ら4人には生前の接点が全くなく、それぞれ殺されるような動機も持ち合わせていなかった。捜査が行き詰まる中、事件でたった一人の肉親である母親を失った令子は、真相を突き止めるべく他の遺族らと「遺族会」を結成した・・・

ちょうど中盤まで読み進んだところで、文字通りボー然となったミステリ。それほど本格ものを読まず、あまり「本格通」でない私にしてから、ああ、あのネタね、と思いながら読んでいたわけですよ。それがものの見事に思いこみを裏切る意外な展開。こんな手もあったのか! と驚嘆いたしました。これはミステリ初心者より、ある程度本格ミステリを読み込んだ人の方がこの「衝撃」をよけいに感じられるミステリなんじゃないでしょうか。
ちなみにどんでん返しはこれだけではなく、ラストでもまたまたあっと言わされ、すっかり振り回されっぱなし。どっちかといえばトリックの巧さを宣伝したい作品ではありますが、それぞれ個性的な登場人物、ハートウォーミングな雰囲気にも間違いないこと請け合います。


『星を拾う男たち』 感想へ

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高村 薫   Takamura Kaoru
『地を這う虫』 文春文庫

定年退職後、警備会社に勤めていた田岡に、元同僚からの電話は、かつての仲間の危篤と、やはりかつての仲間で、妻を殺して服役中だった男の出所を知らせてきた・・・「愁訴の花」。二つの会社に警備員として勤めている省三は、職場と職場の間の300メートル四方を、観察しながら歩くのが常だった。その圏内では、このところ奇妙な連続空き巣事件が起きていた・・・「地を這う虫」。 そのほか、サラ金の取り立て屋が主人公の「巡り逢う人々」、 代議士のお抱え運転手が主人公の「父がきた道」、の元警官が主人公の全4編を収録した短編集。

先に読んだのは文庫版。文庫では単行本に収録されている話が一つ落とされていると知って興味を抱き、単行本版も読んでみたのですが・・・読みながらあれ、これってこんな話だっけ? と思うことしばしば。改稿・加筆が多いとは聞いていたのですが、これほどストーリー自体が違ってしまっているとは思っておらず、かなり唖然呆然としながら読み進めることになりました。文庫版の裏カバーに引用されている「人生の大きさは悔しさの大きさで計るんだ」のくだりは、単行本にしかでてこないような・・・

読み比べてみると、先に読んだせいもあるかもしれませんが、やはり文庫版の方がストーリーが練れているというか、主人公の行動や起きる事件が物語にしっくりくる感じです。個人的には、ラストで、かつての仲間の意外な一面を見せる「愁訴の花」が一番印象的でした。
ちなみに文庫未収録の「去りゆく日に」は、定年の日をむかえてなお事件を追う警察官が主人公。元警察官の物語で統一しようとしたのかもしれませんが、落とすにはちょっと惜しいような気も。

総じて、心温まる話、ではありません。が、それほど日の当たらない場所で、いろいろな事情を抱えながらも、それでも矜持を失うまいとする人々の姿が心にしみてくる話です。


『マークスの山』 早川書房

昭和51年に南アルプス・北岳で起きたある事件から16年後。東京で連続殺人事件が起きる。警視庁捜査一課七係の合田刑事らは謎の凶器と犯人を追うが、捜査には妨害の手が伸びていた・・・

感想アップしなきゃ、と思いながらぐずぐずしているうちにとうとう文庫本発売。これだけの完成度の作品に、どう手を入れるっていうんだろか、などと思うのですが、やはり大幅に中身は変わっているそうです。単行本のイメージが崩されること間違いなしと思えば、怖くて文庫には手が出せません・・・他の作品ならば、文庫になるまで読まない、という選択もできますが、合田刑事シリーズの全3作は、そんなこと知る前にみんな読んでしまったし・・・あう。

凶器も謎、一見繋がりのない被害者たちを結ぶ糸も謎ですが、犯人は初めから明らかになっていて、捜査側と犯人側の視点が交互に現れる展開。読みどころはむしろ警察内部の人間模様で、ブルドーザーのごとく標的に突進していく者あり、上の顔色を窺う者あり・・・。とりわけ、それぞれに綽名を持つ七係の面々は個性豊かに描き分けられており、その個性を楽しみながら読むことができます。それにしても現場にかかる圧力、連携の悪さ、など捜査が直面する困難のリアリティたるや・・・読んでいて地団駄を踏みたくなるような気持ちにさせられることしばしば。どう取材をすればここまでリアルに描けるんだろうと不思議に思ってしまったくらい。

精神に〈暗い山〉を抱える殺人者マークスの造形も印象的ですが、彼と関わる高木看護婦の存在がいいです。この人の存在が無かったら、どこまで暗澹たる話になってしまうかと思われるほど。決して原状回復でもハッピーエンドでもないラストなのですが、何か、しみじみとした読後感が残りました。

とにかく一気に最後まで読まされてしまい、ストーリーの運び方、人物描写、どれをとっても圧倒的な筆力なのをつくづくと実感したのでした。

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