■ 五万人の死角 東京ドーム毒殺事件 小林久三 光文社カッパ・ノベルス
ペナントレースも大詰めに差し掛かった東京ドーム。同点で迎えた八回、一塁二塁のピンチに迎えた打者は、大阪ジャガーズの強打でならす三番打者・マーク。東京エレファンツのエース・森岡は、カウント、ツー・ツーからの第5球を投げようとして、突然、マウンドに崩れ落ちた。死因は青酸カリによるものと判明。婚約を発表したばかりの森岡が試合中に自殺する理由はない。しかし、他殺だとしたら、5万人が見守る前でどうやって毒を飲ませたのだろうか・・・?
と書けば、続きが気にならない人の方が少ないのでは。ミステリの冒頭としては文句無し、の魅力的な謎ですよね。しかし読み終えた感想はというと・・・。
ええとまずですね、問題の第5球の前に投げられたのが失投気味のボールで、結果はあわやホームランかという大ファール。で、このビデオを見た刑事さんが言い出すんですよ、この第4球で観客の目を引きつけておいて、その隙に青酸カリを飲ませたんじゃないか、と。へーえ、面白い推理もあるもんだなあ、と完全にミスリーディング扱いしてたら・・・、え、これが真相!
殺された森岡投手、実はスピットボールだのマッドボールだの反則球を投げていたというのです。打者の好きなコースに投げて大ファールを打たせ、その打球に全員の目を集中させておいてボールに細工をするという手で。
・・・ちょ、ちょっと、待て。
打ち頃のボールに見えて、実は好きなコースを少し外れてるから大ファールになるって?
バッターの好きなコースの近くに甘い球なんか投げたら、長打喰らっちまう確率のが断然高いと思うぞ。もし、本当に微妙に芯を外して投げてるんだとしたら、そんな絶妙なコントロールがあるんなら、反則球なんかに頼らなくたって十分勝てるでしょうが。
観客の目を釘付けにする大ファールの打ち上げテクニックって、この投手は花火打ち上げ課
(©らぁふる草子 '02.07.20の記事がそういう話題でして。)の元祖かい! と思わず悪のりしてしまいたくなってしまったじゃないですか。
それに、大飛球が上がれば、そりゃあ球場のファンとテレビカメラはそれを追うでしょうよ。でも、本当に《全員》が打球に注目しちゃったりしたら、打たれたピッチャーがしまったって顔で振り返るとか、がっくりうなだれるとか、そういう写真は一体誰が撮っているんだろう、とは思わなかったんでしょうか。あれ、打球が上がった瞬間くらいに撮ってないと間に合わないですよね。これで試合が決まるかもしれないという場面で、打たれた瞬間のピッチャーを撮ってやろうと待ちかまえているカメラマンが一人もいないなんてちょっと考えられない。
あと思ったんですが、ファールボールが飛んでる最中は、ピッチャーの手元にボールはないですよね。反則球というやつ、どういう手順で投げるものなのか本文中に詳細はないんですが、新しいボールをもらってからだって細工は必要だろうし、だとしたら、あわやホームランかという大ファールの後ですよ、ピッチャーの挙動不審はかえって目立つような気がするんですけど。
そしてかんじんかなめの殺人トリック。これがですね、マッド+スピットの反則球を投げる森岡の癖を利用したもので、マウンド近くの土に青酸カリを仕込んでおくというもの。泥をつけるときに手についたそれを、唾をつけるときになめるので口に入る、ということなんだそうですが・・・
私、青酸カリの写真も実物も見たことがないんですけど、青酸カリって茶色なんでしょうか? 土に入れたら目立っちゃうような色だったら、相当に抜けてる人間でない限り、手に着いたそれをなめたりはしませんわな。紛れるように混ぜ込んでしまったのだとしたら、今度は量が足りるかどうかが心許ない。少量でも致死量というところばかりが強調されるけれども、切手の裏のりや口紅に仕込んでおくくらいじゃ人は殺せないという話も聞きましたし。
あとその仕込んでおく場所ですが、本文によると、森岡がいつも決まった場所で土をとるという、トリックの前提条件はあったみたいです(じゃないとマウンド中に青酸カリばらまいとかなきゃいけませんもんね)。
しかし、いくら当の本人がグラウンドキーパーに自分の登板中はマウンドをならすのを形だけにしろと
言いつけてあったとはいえ、腹立ち紛れに土を蹴り上げたりする可能性が絶対無いとは言えないんじゃ・・・? せめてロージンに仕込むとか・・・、あ、青酸カリは吸い込んだんじゃ効かないんだっけ。
(<ハクション大魔球@『メイプル戦記』じゃないんだからさ)
だいたいですね、森岡に何かアクシデントがあって(例えば打球の直撃を喰らったりとか)、反則球を投げる前に降板してしまった日には、そもそもこの計画、成立しないですよね〜。
とまあ、魅力的な謎を持ってきたのはいいけれど、それにふさわしいトリックが作り上げられなくて、無理と偶然を重ねてなんとか格好をつけたという印象。それでも、この人物にこの動機だったらこのトリックになるのも納得だなあ、という説得力のあるストーリーがあれば、幻惑されてしまって少々の強引さは気にならないということもあります。しかし・・・。
最後に明かされる動機ってのが、週刊誌の読み過ぎじゃないですかと言いたくなるようなシロモノ。正直これが一番興醒めでしたね。この程度の動機で、わざわざ誰に見られてるか分からない試合中を選んで、しかも思いきり偶然に頼った方法をとるって・・・、さっぱり理解できません。
あと、これは元々デイリースポーツに連載されてたということで読者サービスのつもりだったのかもしれませんが、「謎めいた女」の存在がなんか余計(濡れ場にしちゃサービス悪いし)。一応、無しで済む登場人物でもないんですが(何せ連載中のタイトルは『赤い喪服の女』だし)、利用する気で近づいた新聞記者を3年もツバメにしとくとは悠長な。つーか、別に寝る必要だってないでしょう。これで犯人の告白を聞かされても、何かしらけるんですけど。
ついでに書いてしまうと、全体に会話が上手い小説ではないんですね。とりわけ事件を追う辻村記者の
喋り方。「〜なわけ?」とか「〜なの?」とか、取材してるというのに、なんつーか妙に馴れ馴れしい。先輩に絡まれるってのはこの辺に原因があるのでは? と思ってしまいましたです、はい。
■ 完全試合 佐野洋 角川文庫
ユニヴァーサル・リーグの優勝を争う2チーム、天馬ペガサスと明星プレヤデスの最後の3連戦を目前にして、先発・リリーフに大活躍していたプレヤデスのエース有川紳の娘が誘拐された。犯人の要求は、「3連戦の1試合にでも有川が登板すれば、子供の命は保証しない」というものだった・・・
新聞社各社へ犯人からの電話があったことで、単なる迷子ではなく、誘拐事件であることが確実になるのですが・・・、ここで現在の読者は間違いなくつっかえます。だってマスコミ各社の記者が大挙してプレヤデスの監督やペガサスの監督にマイクを突きつけてるんですよ。当然試合を観にきた観客もこの誘拐事件と犯人の要求を知っていて、この状況で有川が登板するかどうかが注目の的になってるときてます。こんなシチュエーション、今じゃ絶対ありえない!
誘拐事件なら報道協定ってものがあるんじゃないの? と当然至極な疑問が沸いてくるわけで、ちょっと調べてみました。報道協定ができるきっかけとなったのは1960年に東京で起きた「雅樹ちゃん事件」に対する報道への反省だったそうで、同年6月には、日本新聞協会編集委員会が、事件が解決するまで一切の報道をしない、家族をはじめ友人知人に直接取材しない、という「誘拐報道の取り扱い方針」を定めたのだそうです。この時は具体的な手続き等は示されず、現行のような形になったのは1970年2月だそうですが。
ちなみに本作が書き下ろしとして発表されたのは1961年。脱稿や校了がいつだったのかが気になってしまうくらいになんとも微妙な時期ですね〜。
さて、有川を欠くプレヤデスは初戦を落とし、第2戦も初回7失点。ペガサスの優勝ほぼ間違いなしとなったこの試合の最中に子どもは無事返ってきます。初回に8点もらって勝てなかったピッチャーを見たことがある身としては、えらく見切りの早い犯人だなと思っちゃいましたけど(笑)。
有川個人に関わる怨恨、プレヤデス球団への恨み、ペガサスが優勝することによる利益、あたりが考えられる動機になるわけですが、野球賭博に目立った動きはなく、有川本人も人から恨まれるような性格でもないことから、警察マスコミ含めての捜査線上に上がってくるのは、プレヤデスを解雇された選手、ペガサスの本拠地球場に利権を持つ人物、といったところ。
実際、クビになった選手の親が、自分が犯人だと名乗り出てきたりします。息子は弁護士か医者にしたかったんだなんて言うもんだから、途端に話が嘘っぽく聞こえるのがご愛敬ですが。
推理小説の醍醐味の一つは意外な犯人像にあるのはもちろんのこと。ですが、意外性を追求しすぎてあんまり突拍子もない犯人を用意するのはいかがなものか、と思います。そう、最後で真犯人が明らかになるに到って、なんなのこの犯人は、そしてこの動機は、と本気で唖然としてしまったのでした。
犯人がですね、有川の奥さんなんです。登板過多で故障目前のダンナが投げるのを阻止するのが動機で・・・
いつぞや某球団の左腕投手がシーズン78試合登板の日本記録に並ぶほどこき使われたことがありました。この人リリーフ専門で、対左のワンポイントも多かった。それでも次の年全く使い物にならなかったんですよね。それを思えば、確かに有川の69試合371イニング登板ってのは無茶苦茶酷使ですわ。稲尾さんが日本記録作ったのがこの本が出たのと大体同じ頃とはいえ。
優勝するための条件は厳しく、今年優勝できなかったら退任を公約している監督が唯一頼りになるエースをつぎこみまくることは目に見えている上、当の本人が「腕が折れるまで投げる」なんて言ってるんじゃ、奥さんが生活防衛にはしりたくなるのも無理はない。
しかしですよ、いくらダンナの身が心配だからって、いきなり狂言誘拐まで飛躍しますか? 世間をお騒がせまでする? 普通。そりゃあ肩ぶっ壊したら選手生命に関わるだろうけど、この一件がばれたって、まともな選手生活は送れないでしょうよ。とてもマスコミの対応にそつのない奥さんのやることとは思えない。警察だってそうそう無能ぶりを発揮してくれるとは限らないんだし。何としてもこれ以上投げさせないぞ、っていうんなら、せいぜい寝てる布団を蹴っ飛ばして風邪を引かせるとか、傷んだもの食べさせて食中毒にするとか、その程度にとどめてもらいたいもんだと・・・
実はこの本、以前に読んだことがあったのですが、再読して、最後の最後、も一つオチがあったのに気が付きました。でも、これについても上で書いたのと同じ疑問が通用するもんなあ。仮にも誘拐なんだから、思いついた次の日に実行するような計画立てないでほしいもので。それに、するってとあのエラー連発は意図的だったってことなんですか? 足引っ張られたピッチャーに同情したくなってきた・・・
ついでにいえば、有川と元愛人とのエピソードってのが、いかにも容疑者候補の頭数を揃えるために出したんだろな、って印象のとってつけたみたいな話なんですよね。『妊娠小説』(斎藤美奈子/ちくま文庫)の分類に倣って言えばさしずめ「青年“疲労”譚」てことになるんでしょうか(どう考えても“打撃”譚じゃないよなこれ。女の側からだとどう分類していいか分からんし)。記事にするなと言いながら、わざわざブン屋さんに自分の推理をたれこむ女の心理も理解不能。
ともあれ、ピッチャーが肩を冷やしちゃいけないというのがやたらしつこく出てくるあたりがさすがに40年以上前の話だなあと(真夏に毛糸の肩当てを着けさせられたなんて話を聞いた記憶が)。ペガサスの監督がノンプロから迎えられたというのも、そんな時代もあったんだ、という感じで読みました。プレヤデスの現オーナーが元はスカウトだったって設定にはさすがに目が点になりましたが(当時はありえたんでしょうか・・・?)。「試合中にノイローゼのため、球場を抜け出す監督さえいるのだから・・・」なんて文章も出てきますが、実際にそんなことがあったりしたんでしょうか。
全くの余談ですが、スポーツ雑誌のグラビアに子どもと一緒に載るほどの有名な子煩悩、紳士的でおとなしい性格、長身痩躯で端正な顔立ち、先発リリーフ両方こなすサウスポー、と並べられると、とあるピッチャーさんが思い浮かんでしょうがなかったです。バッティングセンスと勝ち星を取りかえたらほぼまんま(笑)。
この作者には他に『10番打者』『地下球場』という「小説・プロ野球」のシリーズがあります。でもこれ、リアルタイムで読めばリアリティがあったのかもしれないのだけれど、その時代を全然知らない人間が読むにはかなりしんどい。野球人気の拡大を図るための桜機関という裏組織の出てくるシリーズなんですが、別所引きぬき事件が巨人を圧倒的に強くすることで、アンチ巨人的なファンを増やそうという作戦だったとか言われましてもね〜。それじゃ江川の空白の一日事件とか桑田の入団騒動、ここんとこの金満補強まで全部その作戦で説明する気かい、と絡みたくもなってくるというもの。アンチ巨人でプロ野球ファンが増えるどころか、加速度つけてファンが白けていくのが現状では。