休職中の刑事・本間のもとを遠縁の青年が訪ねてきた。過去に自己破産していたことを確かめたところ姿を消してしまった婚約者を探してくれ、と頼みにきたのだった。調査を始めた本間だったが、彼女は履歴書の職歴にもすべて嘘を書くなど、過去を隠蔽する注意を払っていた。自己破産の申し立てを依頼された弁護士を訪ねた本間は、思いがけない事実を知ることになる・・・
人間観察の確かさ、伏線の緻密さ、どれをとっても「上手い!」の一言で、文庫にしても分厚いですが、読み応えのある作品です。これが直木賞を取れなかったというのだから信じられない。(個人的には、ストーリーの全体像をのみこみにくかった『理由』よりこっちの方が上だと思ってます。)
感情移入の難しい“悪”そのものが登場しないところも、好きな理由の一つです。
ただ、個人的には一つだけ気になるんですよね。大阪人が関西弁を喋っているのに、なぜ名古屋と伊勢の人間があんなにきれいな標準語を喋っているのか、という点が・・・。(主人公はどこに転勤しても名古屋弁を喋るのに、土地の人間は全員標準語、という“赤かぶ検事”にも同じこと思ってるんですけど)

一家が引っ越したタウンハウスの隣家の女性は、昼夜を問わず吠えまくるスピッツを飼っていた。たまりかねた「僕」は叔父さんとその犬を“誘拐”する計画を立てるのだが・・・「我らが隣人の犯罪」。
両親が揃って外出、「僕」が留守番をしているところへ、若い女性が赤ん坊を抱いてやって来た。彼女は「この娘の父親は君のお父さんだ」と主張し、家に居座ってしまう・・・「この子誰の子」。6年1組が卒業研究に選んだのはなんと「サボテンの超能力」だった。彼らを見守ってきた権藤教頭は周囲の猛反対に対抗するのだが・・・「サボテンの花」。その他「祝・殺人」「気分は自殺志願」の全5編を収録した短編集。
解説の北村薫氏に「こういった見事な短編集を読むのは《読者》としては喜びだが、自分でも何か書いてみよう、と思っている時には災難である。いきなり棒でなぐられるようなものだ。」と言わしめた短編集。
「祝・殺人」がやや辛めのほかは、どれもハートウォーミングな仕上がりで、実際、「うまい」以外の表現を思いつけません。個人的にお気に入りなのは「この子誰の子」と「サボテンの花」。下手に書けばどうしようもなく甘ったるい作品になりそうなテーマを、読ませる作品に仕上げるあたり、さすがです。

失恋がきっかけで知り合った夫婦は、千賀子にとある計画をもちかけてきた・・・「返事はいらない」。六本木にあるアルバイト先の速記事務所に原稿を届けに行く際、伸治は駅の伝言板に伝言を書くことにしていた。だが、誰に宛てたわけでもないその伝言に、ある日返事が書かれていた・・・「ドルシネアにようこそ」。新しく住む家には前の住人が黒電話を残していた。不要になったそれをもらった勉が掃除するために中をあけてみると・・・「聞こえていますか」。『火車』の原型ともいえる「裏切らないで」。その他「言わずにおいて」「私はついてない」の全6編を収録した短編集。
コンピューター犯罪のリアリティに加えて、心理描写の巧さがせつない「返事はいらない」や、温かく爽やかな読後感の「ドルシネアにようこそ」も好きですが、
「聞こえていますか」のラスト近く、人間を見る目の温かさが良く出た文章が一番のお気に入りです。
どうしようもないことはあるのだよ。
生まれたときからついてまわる、読みにくい、珍しい名字のように。
いくら練習しても克服することのできない不器用さのように。
「ドルシネアにようこそ」「裏切らないで」あたり、「東京」を見る目がなかなか辛(から)い作品だなあと思います。『心とろかすような』所収の短編(題名失念)がありますし、人間関係の濃さを手放しで肯定というわけでもないんでしょうけど。大学4年間を東京で過ごしながら、六本木駅は通過した記憶すら無く、「東京はお金がかかる街」だということに辟易はしても「お金を使わなければ東京にいる意味がない」などとは一度も思ったことがない人間ゆえ(苦笑)、少々別世界のような気分で読んだのでした。まあ、若い娘が築30年過ぎのアパートに住んで、定休日前のスーパーで半額品を買ってたってのも問題でしょうけど・・・(苦笑)。

東京下町にある古書店・田辺書店。亡き親友からこの店を受け継いだイワさんという初老の店主と、週末になると手伝いに来る「たった一人の不出来な孫」の稔が切り盛りしている。こじんまりとしたこの店を舞台に起きる6つの事件を収めた連作短編集。
個人的なことですが古本屋さん大好き。根が貧乏性というのもありますが(苦笑)。あちこち探し歩いて、思いがけないところで目当ての本に出くわした時の達成感(?)が好きなのです。私にとっては本は読むために買うものなので、こういう娯楽本中心の古本屋さんというのは、まさに近所にあったらごひいきにしそうなお店(『佃島ふたり書房』なんかはちょっと敷居が高めですが・・・)。もうそれだけで気に入ってしまった本なのでした(笑)。
イワさんと稔のやりとりでコミカルに仕上げてはありますが、全体にトーンが重い話の揃った作品。とりわけ人の死に関わることを扱った「詫びない歳月」など、残された謎、想像の余地の残された部分が印象的でした。個人的にはやはり、ささやかな自己肯定で終わる「黙って逝った」「歪んだ鏡」が好きです。
「うそつき喇叭」を読んでいて、ふと抱いた疑問。大学時代、教職課程の授業をとったのですが、「いまどき教員採用試験の倍率は東大入試より高い」ってなことを先生おっしゃってました。デモとシカで先生になれたら、それはなかなか優秀なんじゃないでしょうか? あ、でも小学校なら教員養成課程を出てないと免許とれないから、中・高の先生になるよりは倍率低いか。でも、だとすると、こいつは何考えて大学を選んだんだ? ってことになるんですけど・・・

ある家に忍び込むべく、隣の家からロープを張ったところで落雷に遭い、屋根から墜落した泥棒氏。目を覚ました彼を、その家に住む中学生の双子の兄弟がのぞき込んでいた。両親は二人とも愛人を作り、それぞれ駆け落ちしてしまったのだという。兄弟は、警察には黙っている代わりに自分たちの面倒を見てくれ、と取引を持ちかけてきた・・・。双子と「継父」の周りで起こる7つの事件を収めた連作短編集。
両親が同時にそれぞれいなくなってしまう、という設定で思い出すのが赤川次郎氏の『子子家庭』。もっともあちらは残されたお姉ちゃんが弟を抱えて奮闘する、というある意味シリアスなお話でしたが、こちらは軽妙なコメディ・クライム。ちなみに、解説でこの作品が比せられた『スイート・ホーム殺人事件』も読みましたが、筋を追うのが結構辛かった記憶があります(そりゃ、子どもが読んでも面白くないでしょうよ、と思ったくらい・・・)。
末恐ろしい(笑)双子の二人と「継父」の泥棒氏のやりとりを始め、全体のトーンが何ともユーモラスで、楽しんで読める作品。軽妙な中にもしみじみとしたペーソスあり、もちろんきっちり伏線もはってあって、謎解きとしても楽しめます。

計7篇からなる短編集。
「八月の雪」「過ぎたこと」「生者の特権」の3編が子どものいじめ問題を扱っているなど、全体にトーンが重めの作品が揃っています。とりわけ親切心が徒になる、という理不尽さで殺されてしまう「人質カノン」はつらかった。「十年計画」「過去のない手帳」から曲がりなりにも再生の物語が続くだけに、なんでこれが表題作かな、と思ってしまったくらいでした。最後の「漏れる心」の終わりを考えると、構成のバランスはこれでいいんでしょうけども。
個人的に印象的だったのは「十年計画」。一番トーンの明るい作品だってこともありますが、免許を持たない身には
「運動神経が鈍いもんで、やめておこうとおもってるんです。わたしなんかが免許をとったら、世間様の迷惑になる」
「とってみると、案外そんなもんでもないですよ」
のやりとりがひとごとじゃないので・・・(笑;月1くらいで同じようなこと言わされてます)。

予備校を受験するため上京した尾崎孝史が宿泊したのは、陸軍大将蒲生憲之の邸宅の跡地に建てられたホテルだった。夜、ホテルで発生した火災に彼が死を覚悟した瞬間、同じホテルに宿泊していた男に救われる。その男に連れられて、孝史が行き着いたのは、昭和11年2月26日未明、二・二六事件直前の、雪降る蒲生邸だった。男は、「時間旅行者」だったのだ・・・
SFをほとんど読まない人間ゆえ、日本SF大賞受賞作でタイムトリップが出てくる作品、と聞いて実はちょっと二の足を踏みました。宮部さんが二・二六事件をどう描かれるのかがやはり気になって読み始め、謎にひかれて読み進めながらも、話に没入しながら読んでいる実感は持てなかったのです。話が貴之や平田の独白にさしかかって、タイムトリップという設定が、歴史と人間の関わりを描く見事な「しかけ」になっている、と気付くまでは。
「結果を知っていたんだ。知った上で、何も知らずに生きた人たちが、これから成すことを批判したんだ。父ひとりだけが、言い訳を用意したんだ。抜け駆け以外の何物でもないじゃないか」
現代に生きる私たちは結果を知っているから、つい、それを頭において歴史を見てしまう。だけど、その時代を生きた人々はみな、歴史の意図も知らず、流れのなかで、先も見えないままただ懸命に生きた人間なのだ。先回りして知っていただけの人間が、安易に批判していいことじゃない。だから・・・
あるべきラストとはこれしかない、という終章。還ってきた孝史の決意はやはり胸にしみるのです。
過去は直したって仕方がない、未来のことを考えて心配したって無駄。だからこそ、
ちゃんと生きよう。言い訳なんかしなくていいように、そのときそのときを精一杯−−−

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『パーフェクト・ブルー』 |
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近江屋藤兵衛が殺され、折り合いの悪かった娘のお美津が犯人だという噂が流れた。幼い頃お美津に恩義を受けた彦次は、真相を知ろうとするが・・・「片葉の芦」。お嬢さんの願かけのために毎夜丑三つ時に回向院の境内まで遣いにだされることになったおりん。その行き帰りを誰とも知れぬ提灯が尾いてくるのだった・・・
「送り提灯」。魚屋だった夫を殺されたおしずは、麦飯屋で働いていた。ある日、置いてけ堀に出る岸涯小僧は、浮かばれない漁師や魚屋の生まれ変わりだという客の話を耳にする・・・「置いてけ堀」。その他「落葉無しの椎」「馬鹿囃子」「足洗い屋敷」「消えずの行灯」の本所七不思議をモチーフにした連作短編集。
月並みですが、「人情物」という以外、何といえばいいのか・・・
本所七不思議を扱っているとはいえ、超常現象や超能力が登場するわけではなく、これをむしろ切り口にして人間のさまざまな感情を描き出しているという趣向。けして救いのない結末が揃っているわけではないのですが、読み終わったあと、何か哀しさを感じさせる作品です。

『本所深川ふしぎ草紙』で活躍した「回向院の旦那」こと茂七親分が再び登場。今度はオーソドックスな捕物帖の形で、「白魚」「鰹」「柿」「新巻鮭」など「初もの」がモチーフになっています。
人情味溢れる捕物帳とはいえ、ハートウォーミングというわけでもなく、「巡り合わせで、そうなっちまうんだ。兄弟なのに。同じ柿の木なのに。渋柿と甘柿に。」という茂七の独白が印象的な「太郎柿次郎柿」を始め、全6編のどれをとっても、どちらかといえば辛めの仕上がりです。
もっともストーリーは辛めながら、美味そうなのが謎の稲荷寿司屋の親父の作る料理。宵っ張りのくせに昼前から店を開けている奇妙な屋台のあるじは、新参にもかかわらず地元のやくざに手を出されずに商売をしており、どうもかなりの身分の侍だったふしもある、という
謎の人物ですが、料理の腕前は確か。すいとん汁、蕪汁、白魚蒲鉾、鰹の刺身、柿羊羹・・・旬の季節感を感じさせる料理は、読んでいるうちに食べたくなるほど、どれもこれも美味しそうです。稲荷寿司だけでなく椀物焼き物までだしていたのが、酒売りを隣で商売させるようにして酒がでるようにし、さらに菓子づくりの修業にでかけて甘いものまで出すようになり・・・とレパートリーも増える一方。
で、あの、続きはまだ出ませんでしょうか・・・? 稲荷寿司屋の親父の正体とか、謎のまんまじゃ気になるじゃないですか。
余談ですが、岡っ引きってのは他人が呼ぶ蔑称で、本人が名のるときには「おかみ御用聞き」というのだ、と何かで読みましたが・・・

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『震える岩 −霊験お初捕物控』 |
講談社文庫 |
深川の十間長屋で死人憑きの騒ぎが起きた。この事件を調べていたお初は、御前様こと根岸肥前守鎮衛に与力見習の古沢右京之介と引き合わされ、一緒に探索をすることになる。彼を連れて家に帰る途中、お初は、油問屋の大樽の中に子どもが沈んでいる幻を見た・・・
他人には見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりするという能力を持つ霊験お初。初登場は『かまいたち』所収の「迷い鳩」「騒ぐ刀」でしたが、あとがきで「違った形で取り組んでみたい」とあったため、長編にするにあたり、どう違った形にするのかな、と思ったら、六蔵とお初の間にいたはずの兄弟、直次が消されてしまいました。ブロンクスのママ・シリーズのシャーリイみたいにあの世に送られたわけでもなく、はなっから存在を抹殺されてしまった模様。
赤穂浪士討ち入り事件のからむストーリーそのものについては、少々強引にこじつけてやしないかなあ、という気がしないでもないんですが、読んでいて唸ったのが事件の解釈。
内匠頭が上野介に斬りかかった理由についてはいろいろな解釈がされているけれど、今ひとつすっきりしたものがない。ならば、はじめからそんなものは無かったんじゃないか?
いや、まさにコペルニクス的転換でした。通説に安直に則ったような話にはならないだろうな、とは思っていましたけど・・・

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『天狗風 −霊験お初捕物控〈二〉』 |
講談社文庫 |
深川の山本町で下駄屋を営む政吉の一人娘が、政吉の目の前で真紅の朝焼けの中、突風とともに姿を消した。しかし、神隠しを認めない同心は父親に疑いをかけ、政吉は自白して首をくくってしまう。御前様に頼まれてお初が調査を始めて間もなく、元大工町で新たな神隠しが発生した。やはり若い娘が朝焼けの中、突風とともに姿を消したというのだ・・・
宮部さんのことですから人間心理の書き込みに抜かりはないのですけど、むしろ「天狗」退治、というエンターテイメント性が強い、楽しく筋を追える作品です。お初とコンビを組むのは例によって古沢右京之介なのですが・・・、実際それ以上の活躍をするのは猫の鉄。口の減らないこのとら猫(もちろんしゃべる言葉はお初にしか聞こえないのですが)が、コミカルな味を出しています。いい味出しているといえば、赤鬼の古沢様もなかなかだったりしますが。
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