森 雅裕 Mori Masahiro | ||||||||
捨て猫や捨て犬を拾ってきたことはなくても、捨て「本」を見ると大抵うちに連れ帰ってしまう我が家族。というわけで、知らない作者だけどきれいな本だったから、と『あした、カルメン通りで』『歩くと星がこわれる』『100℃クリスマス』が連れ帰られてきたのがこの作家さんとの出会いだったのでありました。(しかし3冊セットの割に読み込んだ形跡はなく・・・元の持ち主はどういう人だったんだろ?) 少女漫画っぽい甘めの表紙から、甘めの内容を予想してしまったので、当初面喰らいましたが、なかなかにさびの利いた文体と、確かな存在感のあるキャラクターは個人的にはしっかり好み。とはいえ、『歩くと星がこわれる』は、主人公はこのヒロインを愛している・・・んだよね? と首を傾げながら読む羽目になり、 (恋愛小説にしては皮肉が利きすぎて、主人公の本音が図りがたい・・・。それに、ヒロイン黎の存在感が、森作品には珍しく、妙に薄い。ラストの帆足さんに完全に負けてる、と思う。) 『100℃クリスマス』は都美波が父の“仕事”をあっさり引き継いでしまうあたりの場面転換が急すぎてつっかえ・・・(ついでに言えばラストも。一体何年アフリカにいる気ですか・・・?) しかし、『あした、カルメン通りで』の鮎村尋深と守泉音彦のコンビは文句無し、でした。二人揃ってプライドが高く気が強くて口が悪くて、そのくせ曲がったことが嫌いで、案外純情という難儀な性格。周囲にいたらさぞかし疲れるだろうなあ、と思うのだけれど、高校以来の腐れ縁のこの二人のトークバトルがとにかく絶妙! なのです。くっつきそうでくっつかない二人ですが、音彦の「友情は美しいものさ。男と女の間に生じる快楽なんて、一瞬のものだ。そんなもののために、お前と泥試合を演じるなんざ御免だぜ」(『椿姫を見ませんか』より)は蓋し名言。やっぱりこの二人には「恋愛」ではなく「友情」が似合います。 ちなみに、後になって『推理小説常習犯』を読んで知りましたが、出版社との確執のために森作品のほとんどはみごとに絶版。図書館で読むか古本屋探しで手に入れるよりほかないようです。またネットで拾った情報によれば、このシリーズには『愛の妙薬もう少し…』という第4作があるのだとか。しかし自費出版か何かで、お目にかかるのは相当に困難な模様です・・・。『蝶々夫人に赤い靴』のあとがきに苦手なオペラが続いて云々とかありましたが、自費出版するくらいなら、このオペラは好きなのかな? 自分がこのオペラを好きになってしまったので、余計読みたくなってしまっていけません(苦笑)。 | ||||||||
学内オペラ『椿姫』の練習中、その美貌と実力で注目を集めていた声楽科生の若尾謡子が毒殺された。彼女に相談を持ちかけられていた音彦は事件の謎を追い始める。彼女は死んだ父親が所有していた
マネの『マリー・デュプレシ(椿姫実在のモデル)』が贋作とすり替えられた事件を調べており、音彦に近づいたのは彼が師事していた日本画講師を贋作の作者と疑ったためらしかったのだが、それがわかった矢先、その講師も音彦と尋深の目の前で毒殺されてしまう。事件の真相が見えぬまま『椿姫』は上演日を迎えた・・・。
北海道大学の講師となった音彦は、“カルメン”公演のために札幌にやってきた尋深と3年ぶりに再会した。公演終了の翌日には、指揮者ミルクールが発見したというビゼーの幻の第二交響曲が初演される予定になってもいた。札幌はマリア・カラスの最後の公演の地であり、その際にカラスから車椅子の少女に贈られたという金の十字架が、公演に先立って、カラス2世の呼び声が高いカルメン役のタルガの手に渡っていた。しかし、公演の夜、その十字架がタルガのもとから消えていた・・・
尋深に結婚衣裳の草履を届けるべく、長崎へ向かった音彦。ところが新幹線で乗り合わせた自称“蝶々夫人”のモデル、という老婦人のペースに巻き込まれ、長崎の彼女の自宅に滞在する羽目になってしまう。折しも戦時中に捕虜収容所で演じられたのを記念して、再び“蝶々夫人”がグラバー邸で上演されることになっていた。そして、当時プリマ・ドンナを演じたという愛子媼が今回の蝶々夫人役として音彦に紹介したのは、誰あろう尋深だった・・・ | ||||||||
シリーズ作品リスト | ||||||||
『椿姫を見ませんか』 講談社文庫 1986 |
『あした、カルメン通りで』 講談社文庫 1989 |
『蝶々夫人に赤い 中央公論社 1991 |
第31回江戸川乱歩賞受賞作。
横浜のフレイア学園大学附属高校(音楽大学の付属)に通う、鷲尾暁穂を主人公とした連作短編集。 |
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オックスフォードで催される「マイスタージンガー」のリハーサル中、主役ザックスを演じるバス歌手ショートハウスが、楽屋で死体で発見された。この歌手、歌は一流ながら人間的には問題大ありで、若手の指揮者にはことあるごとに難癖をつけ、合唱団員を手込めにしかけるなど、次々とトラブルを引き起こしていた。殺人の動機を持つ人物には事欠かず、自殺にしては不自然な点があったが、部屋は密室状態。ヴァルター役のテノール歌手アダムの知り合いであったことから事件の捜査に乗りだしたジャーヴァス・フェンだったが・・・ 冒頭部分、そこまで書いちゃっていいの〜(笑)、などと思いながら読み始めましたが、登場人物二人を10ページで結婚させてしまう手際の良さに引き込まれました。洒脱でテンポがよく、適度にペダンティックで、とっても好みの文章。意外な真相という点も申し分ありませんでしたが、最後までとても楽しく読めたのが何よりです。 探偵役のフェン教授は、ピーター・ウィムジイ卿に似たタイプかな(あんまり読んでないですけど)。結構おちゃめなタイプです。バンター役はいないので、実験はご自分でされてましたが。本職はオックスフォード大の英語英文学教授なんだそうですが、何でまたそうも事件に首をつっこむ機会があるるのかしら。 主要な登場人物として登場する歌手はヴァルターとエーファ、あとはコートナーの役。ベックメッサーが出てこないのが意外でびっくりしました。オペラの筋を意識したストーリーながら、一ひねりしてある感じです。個人的にエーファ役のジョウンのキャラクターが気に入りました。作家のエリザベスより彼女のが魅力的なんですけど(笑)。 持ち駒はこの「マイスタージンガー」しかない、といいながら、さすがはプロの作曲家(でもあるんだそうです、この作者)、オペラがらみの小ネタがあちこちに出てくるので、オペラ好きにはさらに楽しめると思います。1946年の作品ですから、時代を感じさせるところも。なにせリヒャルト・シュトラウスがまだ生きてる! ヴァーグナーのオペラって、第二次世界大戦中はイギリスでも一時上演禁止になっていたんですねえ。 というわけで、「白鳥の歌」といってもシューベルトじゃありません(笑)。でも読み終わってもこの題名にした意図はよく分からなかったです・・・。 |
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「椿姫」を上演中のヴェネチア・フェニーチェ歌劇場。第3幕の開始前に指揮者のヘルムート・ヴェルアウアーが楽屋で毒殺されているのが発見された。世界的指揮者の死とあって、世論を気にする署長に圧力を掛けられながら事件を担当する副署長ブルネッティだったが・・・ 事件は冒頭に起きるのみ。主人公の警官が、ひたすら根気よく関係者の話を聞いて回るだけ、というとっても地味な展開。しかも、中盤過ぎてもさほど捜査に進展は見られず、スピード感はまるでありません。ところが、そんな展開なのに、退屈するどころかすこぶる面白かったのです。著者はアメリカ人ですが、ヴェネツィア在住なのだそうで、風景や風俗の描写がなんともリアルで印象的。乾いた叙情とでもいうのか、独特の文章で読ませます。 人物造形もみごとで、指揮者の妻、プリマドンナやその同居女性を始め、出てくる人物が端役に到るまで存在感があります。あえて言えば、ヴェルアウアーの人物像が一番印象に薄いような・・・(フルトヴェングラーとかカラヤンとかを知ってれば、にやりとする部分もあるのかもしれませんけど)。 とりわけ主人公ブルネッティがなんともいえず魅力的。口だけ達者な上司や無能な部下に閉口しつつも、そのあしらい方がなんというか、とってもオトナなのですね。そして、これだけ仕事に打ち込んでいながら、実にまっとうな家庭人でもある警官って、ミステリ界では珍しいのでは(笑)。大学で教鞭をとっている妻のパオラは伯爵家の出身だったりするのですが、夫婦の仲が実に自然なところが読んでて気持ちよかったです。 選評で結末の弱さが指摘されていまして(しっかりネタばらしなので要注意)、ミステリとしては確かにその点が弱いなあとは思いましたが、これだけ読み応えのある小説なら、私としては満足です。しかし、あれだけ律儀にイタリア語部分にカタカナでルビをふるなら、ベニスってのをやめてくれませんかね・・・。 個人的なことですが、最後の謎解き部分を読みながら、あれれれれ、と思いました。この結末、知ってますよ〜。ずいぶん昔に最後の方だけぼけっと見た2時間もののドラマがばっちりこれだった記憶が。最初っからきちんと見てたわけじゃないのと、ドラマの主役は日本人だったので、ラストまで記憶がつながらなかったようです。ありがたいことでした。そういえば、××コンという単語を初めて覚えたのがあのドラマだったような気がするなあ・・・(笑)。 |
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パリの「ボロ館」に同居することになったマルク、マティアス、リュシアンの3人の失業中の歴史学者とマルクの伯父の元刑事。その「ボロ館」を隣家に住む引退したオペラ歌手のソフィア・シメオニディスが訪ねてくる。ある朝突然、見知らぬ木が庭に植えられていたというのだ。彼女の頼みで4人はその木の下を掘るが何も出ない。だが、ある日彼女が失踪した・・・ 男4人の貧乏暮らしにオペラなんてくっつくと、即「ボエーム」なんか連想したりしますが、これは芸術家ならぬ歴史学者の3人。マルクは中世、マティアスは先史時代、リュシアンは第1次大戦が専門(2階にマティアス、マルクが3階、リュシアンが4階と年代順に住んでいます。伯父さんが屋根裏部屋で)。3人揃って、自分の専門以外の時代を研究している奴なんぞ認めないあたり、ちょっと読みながらにやにやしてしまいました。 その、それぞれになんとも個性的な登場人物がこのミステリの一番の魅力でしょうか。いつも黒い服に銀のベルト、指輪をいくつもはめていて、考えすぎるわりに強情で興奮しやすいマルク。大柄で寡黙なマティアスは、本能的な判断に優れていて、服を着るのが大嫌い(・・・)。そしていつもスーツにネクタイ姿、やたらとおしゃべりのリュシアンは、第一次大戦のことになると周りが見えなくなる傾向あり(西隣は「西部戦線」で東隣は「東部戦線」だし)。これに加わるマルクの伯父のヴァンドスレールも、“元刑事”なのは訳あってクビになったからで、いい年ですがまだまだ異性を惹き付ける魅力あり。3人をマルコ・マタイ・ルカの三聖人と呼んで面白がっていたりします。 解説でも指摘されているのですが、文体も割と独特で、マルクの視点でお話が進むのかと思ったら、かなり頻繁に視点が変わるのですが、テンポ良く読めてしまいました。アンフェアとの紙一重、という気にならなくもないのですけど・・・。 それにしても、事件の鍵になるオペラが「エレクトラ」だというので、また妙にマイナーなオペラを選んだものだこと、と思ったのですが、うーむこの真相・・・。やっぱり必然性はあるのでしょうね。 |
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オペラのコンクールに出場するためにイタリアにやってきた新進のイギリス人歌手ジュリア・ロシュフォート。このイタリア行きには母の家族を捜し出す目的もあったのだが、ホテルで待っていたのは伯爵夫人と呼ばれる祖母からの招待だった。そこで彼女は戦争中に祖父母が受けた体験と、「スカルピア」と呼ばれる拷問者が声楽畑の人間だったことを知る。その男はまだ生きているのか? 彼女はスカルピアを見つけ出すことを決意するが・・・ 本の惹句には「華麗なオペラ界を舞台に展開するサスペンスロマン!」とありましたが、それを期待して読むといささか拍子抜けでした。まだろくに調査も始まらないうちにジュリアの前に現れるのが国際的バス歌手ロベルト・パドヴァーノ。「上背があり、たくまし」くて「ドン・ジョヴァンニにぴったり」で、「ローマ皇帝のようなパワーと危険な魅力を発散させている」。おまけに7年前に離婚して今は独身。・・・ハーレクイン・ロマンスの間違いじゃ。 ラブロマンスが調査の過程で進展するなら納得して読んだでしょうが、何か今ひとつ関連が薄いので余計そういう印象です。ロベルトの父も「スカルピア」の拷問を受けていたわけで、協力して調査する必然性はあるんですけどね・・・。あと、ジュリアとせいぜいロベルトに視点を絞ってあればともかく、他の人間の視点がやたらに出てくるもんですから、余計に散漫な印象に。“スカルピア”の可能性のある人間が複数用意してあったので、なんとか最後のディナーの席まで頑張れましたが、ぐいぐいと結末まで引っ張っていく迫力には大いに欠けてたと言わざるをえません。ページ・ターナーじゃないとこの分厚さは辛いですよ・・・ オペラの部分に関して言えば、プロローグの2ページ目からつっかえました。えー、これって『カルメン』だったの? って。カルメンてこんな話でしたっけ・・・。ちなみにジュリアはメゾソプラノという設定。オペラファンならカルメンとエボリでメゾだって分かるでしょうが、実際に彼女がメゾであると文面に出てくるのは話が半分進んでから。これは非オペラファンには大分不親切なような・・・(登場人物一覧から読めって?)。 実をいうと、この本を読むきっかけになったのはこちらの記事で、ロベルト・パドヴァーノの描写がすべて若い頃のルッジェーロ・ライモンディに当てはまる、とあったのに興味を持ったことでした。なるほど、ドン・ジョヴァンニって一般的にはバリトンの役ですもんね。でもバリトンだと『ドン・カルロ』の最中にこき降ろし集団の親玉をとっちめてる暇はないし、と。身長は190センチだそうなので、198センチのライモンディさんよりはちょっと低いですね。 ところでエピグラフのスカルピアの台詞って、何が出典なのかしら。ちょっと気になりました。それにしても、年喰ってもハイCを出せる人間が、若い頃バリトンだったって言われてましてもねえ・・・ |
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リサイタルのために来日中のバリトン歌手ディートリッヒ・F=D。〈冬の旅〉を歌う日の朝、ホテルに
電話がかかってきた。「〈冬の旅〉を歌うのをやめろ。でないと人が死ぬ」というのだ。予定通りリサイタルを行って楽屋に戻ると、そこには中年の男の死体があった。警察から捜査の協力依頼があり、ある音楽愛好家の招待を受けた彼は、ツアーを終えた後も日本にしばらく滞在することにしたのだが・・・ 赤川次郎作品は中学・高校時代に相当読みました。「三毛猫ホームズ」シリーズとか、全冊追っかけてたくらいです。何せ読みやすくて面白かったもんですから。今にして思えば、児童向けダイジェストはあらかた読んでしまい、オリジナルに手を出してみたもののなんだか楽しめずで、何か読むものないかしら、だった当時にはまさにうってつけだったんでしょうね。しかし、現代ミステリ作家にご贔屓を何人も持つようになった今となっては、その軽さがもの足らず。もっとよく練られた人物やストーリーや文章でないと満足しなくなってからは、ほとんど読んでいません。 この本も、一度は読んだのでしょうが、全く記憶になし。そんな本になぜ再び手を出したかといえば、そりゃもちろんこの設定を知ったからです。探偵役が“ディートリッヒ・F=D”! 〈冬の旅〉、なにそれ、だった当時は完全スルーだったでしょうが、今なら喰い付きますよ、ええ。〈冬の旅〉ならボストリッジの映像でさんざん見てて、タイトル見れば曲が出てくるまでになっちまいましたし(苦笑)。しかし昭和55年当時だったら、フィッシャー=ディースカウってまだバリバリ現役でしょ、実名で使って大丈夫だったのかしら・・・ というわけで期待も新たに読み直したのですが・・・ある意味期待通りでした。〈冬の旅〉の曲の内容にそって事件が起きるのは面白いといえば面白いのですが、その必然性が弱いんですよ。そりゃまあ、ミステリというのは作り物の世界ではありますが、その作り物を納得させるべく徹底的に作り込んでくれないと。とりわけ散弾銃で頭を吹っ飛ばす動機がこれって・・・。女には理解不可能です、と断言したくなっちゃいました。 |