ロバート・ファン・ヒューリック    Robert Hans van Gulik
狄仁傑。則天武后に仕えた名宰相で、彼がこの世を去ったとき、武后は「朝堂空なり」と嘆いたそうであります。
若い頃には地方で知事を務め、難しい犯罪事件を数多く解決して名声を博したとかで、18世紀になって成立したのが彼を主人公にした『狄公案』という小説。中国版大岡裁き、みたいなものを思い浮かべれば・・・というより、いわゆる『大岡政談』というやつ、他の奉行の裁決の手柄を大方さらった上、こうした「公案小説」のルーツとなった『棠陰比事』なる本からの翻案も多いとの由。かの遠山の金さんも、刺青は桜吹雪ならぬ美人の大首絵で、それも奉行になってからは絶対に人に見られないようにしてたそうですし。・・・話がそれました。

この『狄公案』を読んで熱中したのがライデン大学・ユトレヒト大学で中国文学を専攻した外交官ファン・ヒューリック。彼の手によって欧米風の探偵小説に翻案されたのが狄(ディー)判事のシリーズというわけです。史上の狄仁傑と狄(ディー)判事が同名異人であるのをはっきりさせるためか、知事としての赴任先はすべて架空都市。
二行の見出し(「対聯」というそうです)が付いていたり、作者自身の手になる版画風の挿し絵が入っていたり、という中国風の趣も楽しめます。

作者のファン・ヒューリックという人、外交官としての公務のかたわら狄(ディー)判事シリーズ全16冊を書き上げたのみならず、『古代中国の性生活』『中国のテナガザル』『書画鑑賞彙編』などの学術書もものしている上、中国語、日本語の他サンスクリット語、インドネシア語、チベット語、アラビア語を駆使することができたというのですから・・・とんでもないスーパー人間であったらしいです(絶句)。
ちなみに作者のお名前、三省堂版では「フーリック」ですが、オランダ語のUはUウムラウト(ドイツ語分かる人だけ分かってください)なので、これはポケミスの「ヒューリック」が正しいのです。

感想は読んだ順に並べてます。
シリーズ作品リスト
平来知事
33歳
The Chinese Gold Murders 『中国黄金殺人事件』 訳:大室幹雄 三省堂 1959
『東方の黄金』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
The Lacquer Screen 『ディー判事
四季屏風殺人事件』
訳:松平いを子 中公文庫 1962
漢源知事
35歳
The Chinese Lake Murders 『中国湖水殺人事件』 訳:大室幹雄 三省堂 1960
The Haunted Monastery 『雷鳴の夜』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1961
蒲陽知事
38歳
The Chinese Bell Murders 『中国梵鐘殺人事件』 訳:松平いを子 三省堂 1958
『江南の鐘』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
The Emperor's Pearl 『白夫人の幻』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1963
The Red Pavilion 『紅楼の悪夢』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1964
Necklace and Calabash 『真珠の首飾り』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1967
The Poets and Murder 『観月の宴』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1968
蘭坊知事
40歳
The Chinese Maze Murders 『中国迷宮殺人事件』 訳:魚返善雄 講談社文庫 1956
(1951)
『中国迷路殺人事件』 訳:松平いを子 ちくま文庫
The Phantom of the Temple 『紫雲の怪』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1966
北州知事
46歳
The Chinese Nail Murders 『中国鉄釘殺人事件』 訳:松平いを子 三省堂 1961
『北雪の釘』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
首都 The Willow Pattern 『柳園の壺』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1965
広州 The Murder in Canton 『南海の金鈴』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1966
短編集 The Monkey and Tiger       1965
Judge Dee at Work 『五色の雲』 訳:和爾桃子 ハヤカワ・
ポケットミステリ
1967
『真珠の首飾り』

とある事件を解決し、休暇がてら釣りでもしようかと江城の町にやってきた狄判事。舒大尉のはからいで医者として滞在することになった宿に、皇室の離宮から迎えの輿がよこされた。彼を呼んだのはなんと皇帝の娘第三公主。皇帝から賜った首飾りが盗まれたので秘密裏に探し出してほしいというのだ・・・

ヒューリックの初期作品は三つの事件を同時進行させて描くのが特徴だそうですが、後期の作品である本作では、宿屋の帳場係殺害事件や女将の失踪事件が絡むとはいえ、メインになるのはやはり首飾り紛失事件。馬隆や晁泰といったレギュラーメンバーの部下たちの活躍もなく、判事一人の単独潜伏捜査なので、大岡裁きのみならず、それこそ暴れん坊将軍か遠山の金さんか、っていうような場面も(笑)。若い女の子に迫られて、ひたすら靴を磨く判事というのも笑えます。
登場人物もなかなか個性豊かで楽しく読めたのですが、難を言えばラストがちょっと消化不良。ええ、陰謀の黒幕の動機はいいんです。でも、首飾りの隠し場所ってのがなんか納得できないんですが・・・。
(中国の×××××って丸いんですか? 挿し絵じゃ確認できないんですけど・・・)


『中国黄金殺人事件』

道中でマー・ロンとチャオ・タイという二人の部下を得て、知事としての初めての赴任地平来にやってきたディー判事。さっそく前知事が毒殺された事件の捜査にとりかかったのだが、政庁内で前知事の幽霊を目撃。さらに、主任書記官のファンは行方不明になっており、商店主のクーが新婦の失踪を届け出てきた・・・

朝鮮人街区もある海港都市・平来。白村江の戦いの翌年という設定です。(まえがきでいきなり年号が間違っていることを指摘されているのがご愛敬)。
人虎がらみの話はさておくにしても、全部の謎にきちんと解決がついたかな、と思わせといて最後数行。気が抜けません(笑;でもミステリファンには好き嫌いあるかな・・・)。

ちなみに大室氏の解説は中国文学の論文か、というくらいの気合いの入りようで、門外漢にはかなり辛い・・・はっきり言って推理小説の解説じゃないです(泣)。個人的には、登場人物のお名前に漢字を当てる方に労力をさいて下さった方がありがたかったのですが。(カタカナで書かれると、華僑のイメージになってしまうので・・・)
あと、本筋に関係ないのでどうでもいいんですが、中国唐代には「同業者組合」に相当する用語は無かったのでしょうか。「ギルド」なんてルビふられると、頭が一気に西洋中世に飛ぶじゃないですか・・・
追記:卯月さんに教えていただきましたが、同業者組合には「行」って言葉が使われていたようです。だったらせめて「行」にギルドってふってみるとか・・・


『中国湖水殺人事件』

首都から三十里ほどのところに位置し、神秘的な湖の畔りにある漢源の知事に任命されたディー判事。地元の有力者に招かれて出席した船上の宴で、判事に何かを告げようとした芸妓が死体となって発見された。ほどなく宴に同席していた商人が新婚の娘が殺されたと申し立て、この地に隠棲している帝室顧問官の甥は、顧問官が自分の土地を法外に安い値段で売り払っていると相談を持ちかけてきた・・・

マー・ロンとチャオ・タイは「緑林の兄弟」、平たく言や追い剥ぎでしたが、今回判事の副官に加わるタオ・ガンは「江湖の客」、つまりどさまわりのペテン師。腕っ節の二人だけでなく、悪知恵の回るキャラクターが配下に加わってさらに面白くなりました。個人的には月仙がジャンクの乗組員をあしらうくだりが好きですが(笑)。
ところで、白蓮教ってのは、発生したのは南宋、大規模反乱を起こしたのは元末と清の時代で唐代には関係ないと思うんですが・・・?
明朝の人による導入部つきですが・・・正直、読み終わってから最初に戻ってもういっぺん読んでもなんだか分かったような分からないような・・・でした(汗)。


『中国梵鐘殺人事件』

蒲陽に赴任したディー判事は、さっそく前任者が未処理のまま残していった、「半月小路暴行殺人事件」の審理にとりかかる。副官タオ・ガンは市の北の郊外にある普慈寺の豊かさに不審な点があると報告し、また広東から来た老婦人が、一族を迫害し財産を奪い取ったとしてある男を訴え出てきた・・・。

三つの事件のすべてが実際の公案小説に出典があるのだそうですが、そのせいか相互の関連性が薄く、単独の事件3つ、という印象です。その分オーソドックスに「公案小説」って感じがして、これは これでいい感じではありますが。どちらかといえば「謎解き」より「名裁き」の印象があります。
前半部での判事の謎の行動に、副官たちのみならず読んでる方も目を白黒させられましたが、それが解決編で見事に活きてくるのはさすが! ただ、そうとう重苦しいラストではありました・・・
ちなみに導入部は前作よりすっきりしていてわかりやすいです(笑)。
ところで、このシリーズをここまで読んできて、すごく気になってることが一つ。中国って、夫婦別姓じゃないんですか?


『中国鉄釘殺人事件』

北辺国境に近い北州に赴任したディー判事。革工同業組合親方の娘の失踪事件が未だ解決せぬ折、紙商店の主人が、妹を殺害したと義弟の骨董商人を訴え出てきた。捜査を進める判事たちは町に住む拳術家と知り合いになるが、その彼も毒殺され、現場には紙で作った謎の図形が残されていた・・・

初期5部作のラストになる作品。作者はこの作品でこのシリーズを終わりにする予定だったそうですが、なるほど、そのつもりでなきゃレギュラーメンバー1人との“涙の別れ”なんてシーンは作らなかったでしょう・・・
物語としては「ディー判事危機一髪」のお話。容疑者を追いつめきれず、判事は絶体絶命の窮地に立たされてしまいます。その窮地を救ってくれたのはある女性だったのですが・・・
事件の結末といい、判事の出世という大団円でありながらしんみりしたラストといい、全体に重苦しいトーンです。内戦中のベイルートで書かれた作品というのがなんとなく納得でした。


ディー判事 四季屏風殺人事件』

チャオ・タイをお供に、平来と同じ省内にある濰萍県に数日逗留することにしたディー判事。盗人に同業者と間違えられた機会に、ならず者のたまり場のような宿に転がり込んだ二人は、知事夫人殺害事件、商人の自殺疑惑、背任疑惑、の事件の捜査に関してトン知事を助けることになるのだが・・・

『真珠の首飾り』といい、この作品といい、どうやら後期作品、判事のおしのびシリーズであるようです(笑)。登場する副官の数が減らせるための趣向でしょうか。『真珠』と違い、この作品では対聯もありません。
休暇といいつつ、事件に関わる機会ができれば喜んで首をつっこんでしまうワーカホリックのディー判事(笑)。馘になった元巡査長という偽の身分を結構楽しんでいるご様子です。娼婦石竹にはしっかり見抜かれちゃったりしてますが・・・。ちなみに、「麝香石竹」で“カーネーション”の意味だそうです。なるほど、それで“石竹”ですか。
ちなみに、女に関してはマー・ロンよりずっといい趣味をしている! と判事がほめたチャオ・タイ。しかし『黄金』に続いてこの結末、女運は無いみたいですね(笑)。


『中国迷路殺人事件』

極西の辺境県・蘭坊に赴任するディー判事一行を“歓迎”したのは盗賊団の一行だった。土地の権力を一手に握るチャンという男を除くことに成功した判事だが、巡査長の失踪した娘は行方不明のままだった。蘭坊に隠棲していたアン元総督の未亡人は総督の残した謎の画巻を政庁に持ち込み、同じく隠棲していたディン元将軍は密室状態で殺害されているのが発見された・・・

『鉄釘』に登場する異民族はタタール人でしたが、こちらはウイグル人に接する国境都市。
個人的に一番興味深かったのは、毒を検出するときのペーパークロマト風の実験光景でしたが(笑)、密室殺人の方法もなかなか中国趣味で面白かったです。空間図形に弱い身としては、迷路の話は何か分かったような分からないような・・・でしたが(苦笑)。
この作品で一つポイントになっているのがチャオ・タイの前歴。先に 『黄金』を読んでいたのでちょっとあれっと思いましたが、この作品の方が書かれたのが実は先なので、そこは致し方ないんでしょう。


『中国迷宮殺人事件』

序文・松本清張、解説・江戸川乱歩という豪華さの、上記『迷路』の訳者違いバージョン。
登場人物の表記がすべて漢字なのはありがたいのですが、すべてルビが音読み。マー・ロンとチャオ・タイが「馬栄(ばえい)」と「喬泰(きょうたい)」なのです! 考えてみれば、日本じゃこっちの方が普通なんですが、慣れた名前が変わってしまうのはやっぱり違和感(笑)。『真珠の首飾り』の、漢字表記に中国発音ルビ、がベストだと思います、はい。
あと、訳者の方の癖なのか、「アゴヒゲ」だの「ユックリ」だのとやたらにカタカナ表記が多いのがちょっと読みにくかったですが、昭和26年の訳にしては違和感無く読めると思います。
ちなみに表紙はヌード挿し絵のカラーバージョン。『四季屏風』のあとがきだったか、何が何でもヌードを、という注文だった、とありましたが・・・恐るべし講談社(笑)。


『雷鳴の夜』

漢源への帰途、嵐に遭い、山中の道観に宿を求めた狄判事一行。そこは相次いで三人の若い女が変死するという事件が起きた場所だった。到着早々、判事は窓越しに大男と片腕の女を目撃した。だが、窓の向かいに立つその物置には、そこから見える窓など無いはずだった・・・

時間はわずか一晩しか経過していないのに起きる出来事はなかなか盛りだくさん。風邪ひきなのにぶん殴られて昏倒するわ、熊には襲われるわ、徹夜で階段だらけの道観を奔走した狄判事、まったくごくろうさまでした(笑)。
ホーンテッド・マンションならぬホーンテッド・モナストリーということで、お化け屋敷的雰囲気も たっぷりでしたが、『梵鐘』に続いて儒教バンザイのお話になっているのがちょっと笑えたり。故前観主の描いた愛猫の絵など、挿し絵がしっかり伏線になっているあたり、かなり意表をつかれました。
ちなみに今回判事を助ける副官は陶侃(タオガン)。出てこない馬栄(マーロン)は「一糸まとわぬ 女に大口あけて見とれるのは、あいつに任せておけ」なんて言われてたりして・・・(笑)。 珍しく判事の3人の夫人がけっこうしっかり登場していたりもします。
あとがきによれば、今回から魚返訳に倣って「馬隆」→「馬栄」、「晁泰」→「喬泰」に改めたとの ことですが、魚返訳で「陶幹」だったタオガンは「陶侃」なのがちょっと謎です。

完全な余談ですが、丁さんが卵の殻からとった薄膜で傷口をふさいでやるシーンを 読んで、一体これは何が出典なんだろう、とすごく気になってしまいました(笑)。 いや、これ、以前に教わった方法なんですが、ほんとに跡も残らずきれいに治るんですよ~。


『観月の宴』

州都での会議の帰途、友人の金華県知事・羅(ルオ)のもとに滞在することになった狄判事。だが到着早々に茶商人の裏院子を間借りしていた挙人が殺される事件が起きた。事件の捜査を抱えながら、当代きっての詩人を招いた中秋節の晩餐会に出席した判事だったが、そのさなか、宴のために呼ばれていた舞妓が惨殺されて見つかった・・・

副官が一人も登場しない本作品。といって判事の単独行動ばかりというわけではなく、友人の羅知事との共同捜査のような感じです。どっちかといや堅物な判事に対して、酒・女・詩作といった趣味を楽しむ遊び人的な羅知事。といって仕事がいいかげんかというとさにあらず・・・とそのギャップがなかなか面白い人物で、このコンビのやりとりがなかなか楽しめます。
詩人3人を招いての宴、当然話題は詩のことになるんですが、あいにくと(作中の)狄判事は詩の方はからきしのようで、さんざんな言われようです(笑)。詩の訳には苦労されたようですが、個人的には最初に白文を作ったのなら、書き下し文もつけておいてもらえると、雰囲気が出て良かったんじゃないかな、と思わないでもないです。ちなみに登場する女詩人・幽蘭は、魚玄機という実在の詩人がモデルだとか。
死体が埋められたのが桜の木の下なのは誰かさんの影響かな?、とまで思ってしまうと気を回しすぎでしょうか。あと、モチーフの一つが「中国版狐つき」なんですが、狐も狂犬病になるんだ、と妙なとこに感心してみたりもして。
それにしても女心はよう分からん・・・、という感じのラストでありました(笑)。


『紅楼の悪夢』

出張旅行の帰途、馬栄とともに宿を求めて一大歓楽地・楽園島にやってきた狄判事。盂蘭盆会の最中とあって大賑わいの中、なんとか確保した宿は、30年前に自殺事件があり、先だっては国子監博士が自殺したといういわくつきの紅堂楼だった。土地の顔役が集まる宴席から戻った判事は、鍵のかかった寝室に、先ほどまで同じ席にいた花魁娘子の全裸死体を発見した・・・

『観月の宴』で「つい先ごろの楽園島みたいに一杯くわそうったって、そうはいかないわけだ!」てなセリフがありましたが、それがこの事件だそうであります。訳者あとがきに「さすがは判事、なかなかタフな堪忍袋をお持ちらしい」とありますが、まったくもってその通りで・・・
判事の推理も二転三転、なかなか複雑な真相で、けっこう重たいラストでもあります。そんななかで小蝦どんと蟹やんのコンビがなかなかいい味だしてます。馬栄いいやつだなあ、と思わせるエピソードなんかもあり。でも微妙に馬栄も女運ないのかも、という気がしてきたりして・・・(笑)。
紅楼夢や元曲崑曲の有名モチーフが随所に出てくるのだそうですが、紅楼ときいて辛うじて「紅楼夢」の名前が思い浮かぶだけの私にはさっぱり。銀仙の姓が「巫」だというのでまた変わった名字だなと思いましたが、ちゃんと典拠があるのですね。


『五色の雲』

全8編を収録した短編集。原題が「狄判事は仕事中」だけあって、仕事に使命感を見いだす話が多いですね(笑)。

「五色の雲」 平来での事件。政庁で地元の有力者たちと協議中の狄判事のもとに、そのうちの一人である侯の妻が縊死したという知らせが入った。一見自殺に見えたのだが・・・。アリバイトリックが香時計というあたりがいかにもこのシリーズ。ラストでの判事、なかなか味な処置でした。

「赤い紐」 これも平来知事時代の話。軍の砦で起きた殺人事件で、犯人と目される男を知っていた副官二人は彼の無実を主張した・・・。無味乾燥な書類の一枚もあだおろそかにしてはならぬという話(笑)。殺害方法がちょっと分かりにくいのですが、『南京路に花吹雪』に出てくるアレですね。

「鶯鶯の恋人」 同じく平来での事件。質屋殺しを目撃したはずの聾唖の女性は、「黒い悪鬼が雨の精を変えてしまった」というばかりだった・・・。判事の第三夫人が『黄金』に出てきたあの女性だと明かされるのはどの長編だったか思い出せないんですが、これは第一夫人に勧められて彼女と結婚するいきさつの出てくる話でもあります。

「青蛙」 漢源知事時代の話。真夜中に起きた老詩人の殺害事件。芸妓あがりの若い妻が疑われたが・・・。犯人の片言隻句を聞き漏らさない判事にはお見事というほかないですが、それにしてもこの奥さん、○○を待ってただけなら、なんでセミヌードだったんだろ?

「化生燈」 物乞いとおぼしき男の死体が発見された。報告を受けた判事の前に、彼の幽霊らしき姿が現れ・・・。元宵のお祭り気分の中でおきる事件。超常現象にちゃんとこの時期ならではのオチがつくのが面白いです。

「すりかえ」 大道芸人の興行で、細工した剣と真剣がすりかえられ、子どもが犠牲になる事件が起きた。判事の留守中現場に居合わせた副官二人は、独自に調査を開始した・・・。判事のフォローが入るとはいえ、なんともやりきれない結末の一編。

「西沙の柩」 宴席で知り合った娼妓の恋人が無実の罪で処刑されると知った狄判事。軍に出向いた判事は司令官から難題を吹っ掛けられた・・・。皇太子の柩が絡んだスパイ疑惑を解決する方法がなかなか意表をついてて面白く、初対面の判事に向かって「きさま、なぞなぞが得意だというじゃないか」などとのたまう独眼竜の司令官もいい味出してます。

「小宝」 大晦日の蘭坊政庁に一人の男の子が駆け込んできた。家に帰ってみると、床が一面血だらけで母親がいないというのだ・・・。前書きに「間違いふたつを足したらあら不思議、正しい答えがでるのだ!」などとありますが、確かに結果的に真相にたどり着いたような感じですね。もっとも結末は一番ハートウォーミングです。


『柳園の壺』

疫病が蔓延し、朝廷が避難した都の留守を任された狄判事。食糧にも事欠き、治安が悪化する中、篤志家でもあった豪商の梅亮が事故死した。折しも都きっての三旧家がそろって滅びることを暗示したはやり歌がひろがっていたのだが、まもなく、やはりその歌に符合するように郡公を称する易が殺害される事件が起きた・・・

後期シリーズには珍しく、馬栄、喬泰、陶侃の副官がすべて登場(洪警部は出られるわけがないので・・・)。まあ非常事態ですから、3人ともフル回転で働いてもらわなきゃ追いつきませんよね(笑)。馬栄と喬泰の大立ち回りなんて場面もあり。最後のどんでん返しには陶侃ともどもびっくり仰天しましたが、判事の推理にはおみごとの一言です。仕込み袖なんてものが出てくるのも面白かったですね。
「の」という助詞はいろんな解釈ができるものですから、最初、庭に壺が置いてありでもするのかと思って、変な題名だなーと思ってしまいましたが、図案のことでしたか。18世紀の英国で考案された、田舎家と水辺の亭に橋がかかり、杖をかざした人物が橋をわたる二人を追いかけるという図案のことを「柳園図」というんだそうでありますが、もともと中国にあった二人の文人に琴を捧げた侍童がつきしたがうという図を見間違えたのがはじまりでは、とのこと。そういえばマイセンのタマネギ模様も、中国では本来ザクロの図案だったとか聞きましたっけ。
ちなみに訳者あとがきによれば、この疫病は原文ではペストだとのこと。なるほど、そういわれてみると収屍の黒装束、なんだかヨーロッパ中世でペストが流行したときの医者の格好を思わすところがありますね。
ところで、馬栄に春がやってきたのはめでたい限りなんですけど、喬泰は女運が悪いままなんでしょうか(笑)?
最後、著者の出席した座談会の抄録のおまけつきです(乱歩、『迷宮』の訳者などが出席)。


『南海の金鈴』  

喬泰と陶侃とともに広州へやってきた狄判事。この地を密かに訪れていた御史大夫が失踪したため、異国貿易の情報収集にかこつけて極秘調査を行えと命じられたのだ。到着早々埠頭を見回り、二手に分かれて判事に報告に戻る途中、陶侃は風変わりなこおろぎ売りの娘に出会い、一方の喬泰は殺人事件に巻き込まれた・・・

後期作品の最後になる作品。この刊行後ほどなく作者はお亡くなりで、どのみち続編は望めないのですけど、「犯罪事件を手がけるのはやめにするかもしれん」などと判事に言わせているところをみると、本当におしまいにするつもりだったみたいですね。判事の捜査のやり方が知られているために、それを逆手にとった犯人に苦労させられてるわけですから・・・。しかし、その分犯人との対決シーンはなかなかの迫力でした。ふたごのドゥニャザッドとダニナールと喬泰の掛け合い漫才など結構愉しく、全体に『鉄釘』ほど重苦しいトーンではないのですが、それを思わせる展開も。それにしても最後に春がくるのがあの人だったとは・・・(笑)。
南海貿易の拠点・広州が舞台ということで、異国趣味たっぷりの本作品。大食(アラブ人)、波斯(ペルシャ人)のほか、蛋家という水上で暮らす被差別民も登場。もてなしの場面に出てくるアラブ料理が実に美味しそうでした。
事件の裏にさりげなく絡めてあるのが則天武后の存在。狄判事の今後を暗示してるんでしょうが。


『白夫人の幻』 

かつては競技の後に若い男が河神女の生け贄に捧げられていたという端午節の年中行事・扒龍船の行われる蒲陽の町。先頭争いを演じていた船で鼓手が頓死し、検屍の結果毒殺と判明した。調査を開始した狄判事は、若い女性から郊外の廃屋までの護衛を頼まれるが、邸内で彼女は殺されてしまった。彼女はかつて宮廷から消え失せた皇帝の真珠を手に入れようとしていたらしい・・・

副官3人がそろって休暇中ということで、今回は洪警部が大活躍。判事が止めるのもきかず、夜中に暗黒街の顔役のところに聞き込みに。その乞食束ね役・申八が、副官の中で警部だけをかっている、というのがなんだかおかしいです。その申八が思いをよせるのが良菫花さん。彼女の大活躍がまた痛快。最初の登場人物一覧をろくろく見ずに読み始めたので、判事の驚きをこっちも味わうことができてよかったです(笑)。
廃屋で判事が見つけ、連れ帰ってきた小さな亀。この亀さんに青菜を与えながら警部と話し合うシーンなんてのもあり、激務の間にペットと遊ぶ判事、くらいのつもりで読んでいたら、最後のあの計画の伏線になっていたとは・・・。あなどれませんね。
それにしてもやっぱり河神女さまは女の味方なんでしょうか。儒教の信奉者で、民間信仰など怪しげなものとして顧みない狄判事ですら、最後には無視できなくなったりして・・・、独特の存在感がありますね。
大理石の話だけ、なんだかキツネにつままれたような気分です。何遍読み返しても本に載ってる通りを喋ってるようにしか読めないんですけど・・・?

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