野球にまつわるエトセトラ

 私の病気は脊椎の神経の病気なのだそうです。ひどく厄介な病気なのですが、もちろん回復の可能性はあります。3%ばかりだけど……。これはお医者様(素敵な人です)が教えてくれた同じような病気の回復例の数字です。彼の説によると、この数字は新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度のものなのだそうです。

村上春樹 『風の歌を聴け』 講談社文庫

1979年当時、新人でノーヒット・ノーランを記録したピッチャーは4人いましたが、なるほど、ジャイアンツ戦で達成したものって無いですね(『プロ野球の友』 玉木正之/新潮文庫 を参照)。
いずれにせよ、「とんでもなく困難」ということの比喩としての意味は今でも十分に伝わってくるのだけれど、7年後にドラゴンズの新人ピッチャーが初登板でジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるのを知ってたら、作者はこの文章を書いただろうか、と思うとむしょうにおかしい(笑)。


 少年は言われた通りにした。トレーナーの下は黒い半ズボンに白いハイソックス、黒いスニーカーという格好で、頭に“ヤクルト・スワローズ”の野球帽をかぶっている。私は、子供は前年の日本一のチームのキャップをかぶるべきだ、などと考えていた。

原ォ 『天使たちの探偵』より「少年の見た男」 ハヤカワ文庫

“二つ以上の球団を渡り歩いたロートル選手の活躍を喜ぶ”のは中年の特権、ですか?(笑)
日本一と4位を繰り返してた10年後しか知らない身としては、スワローズがまちがっても「前年の日本一のチーム」にならない、という扱いに時代を感じます。
ちなみに次のページに「 近頃の子供はどういうわけかみんなダイスケだった」 なんて文章があるんですが、これを荒木大輔ブームの影響とまで読んだら読みすぎでしょうか。
(塾だか非常勤だかで教えに行ってた先輩が言ってたんですよ。「生徒にやけに「大輔」って名前が多いなあと思ったら、あいつらの生まれた頃って荒木大輔ブームだったんだよな〜」って。)


他にこんな描写も。

 春先にこの都会で歓迎したくないものは、四月の忘れ雪、セ・パの優勝候補の二チームが三連勝してしまうプロ野球の開幕戦、未払いの税金の督促状、それにキャデラック“エルドラド”に乗っている依頼人だった。

「二四〇号室の男」

世間では“昭和”が終わったと騒いでいたが、読売ジャイアンツを巨人と呼ぶ義務はなく、国営放送をNHKと呼ぶ義務はないように、一九八九年を平成元年と呼ぶ義務もなかった。

「歩道橋の男」


 昨夜は不穏な夜だった。西から東へと、灰色の雲のかたまりがふっ飛ばされていた。空の上の方にいる神様だか誰だかが、突然近鉄の野茂選手になることを決意したようだった。そしてその投球練習を見物している誰かがフラッシュを焚いて写真を撮っているようだった。

宮部みゆき 『ステップファザー・ステップ』 講談社文庫

ええ、覚えてますよ、近鉄の野茂選手。
(吉井投手が近鉄のリリーフエースだったことも覚えてるくらいだ。ヤクルト時代は記憶無いけど)
でも今、野茂といえば完全に「大リーグの野茂選手」のイメージ。比喩なんだから、文庫にする時には変えた方がよかったんじゃないかな〜、なんて思いながら読んでたんですが、最終話まできて撤回。
東京ドームの日本ハム対西武戦で「秋山」がエンタイトル・ツーベースを放ったり、「清原」がバックスクリーンに飛び込むホームランをカッ飛ばしたりしておりました。この部分だけ変えるってわけにはいかないですね、それじゃあ(笑)。


「わたし、野球オンチなんです。スコアと勝敗ぐらいはわかるけど、ルールなんて全然。試合を観ていて面白いと思ったことなんか、一度もありませんでした」
 ヘンでしょう、と滝口に笑いかける。
「それなのに、あの人と別れてからも、毎晩プロ野球ニュースを観てたんですよね……。それも、あのころはシーズンオフでしたから、毎日同じようなことばっかり繰り返しているだけの、つまらない ものだったのにね。」

宮部みゆき 『返事はいらない』 新潮文庫

主人公の元恋人が「筋金入りのジャイアンツファン」であるという設定にいたく納得した私。
「寄らば大樹じゃ、社会の木鐸は務まらないと思うけどね」と評される人間が、例えば「阪神タイガースのファン」だったりしたら、やっぱり読み手はずっこけるだろうなあと(笑)。
ネットもスマホもある今では、あんまりありそうもない設定になってしまいましたが、しかしいくら電話一本で何でも聞き出せるといったって、見てて面白いと思ってない相手に試合結果を聞いて、楽しいもんかなあ、とは思うんですけど・・・


「うん……。えらく飛躍したこと聞くけど、きみ、野球は好きかな」
「日本ハムです!」
 好きも嫌いもない、断固とした口調でザキは宣言した。
 野球ファンてのはこれだから怖いんだ。
 あたしは苦笑し、おかげで緊張がとけた。

氷室 冴子 『恋する女たち』 集英社コバルト文庫

多佳子さんに「怖い」なんて感想を言わせるには、微妙な球団を持ってこなければならない場面。
出版年を見たら私がよちよち歩きの頃なのに、今でも違和感がなく読めてしまうのがすごいというかなんというか(笑;大抵は執筆当時とのギャップが笑えるんですが・・・)。
しかし今でこそフランチャイズが移転してきて、北海道の地元球団になってますけど、
ザキ君が日本ハムファンになるのはどういうきっかけがあったんでしょう?
CSやスカパーがある今ならともかく、パリーグの試合の中継なんてそう無いだろうし、第一、「稀にみる教育ママパパ」の両親じゃ、「プロ野球ニュース」を見せてもらえたかだって怪しいし・・・


「ホエールズってのも情けないチームよね。ジャイアンツごときにボロクソ打たれて、さっぱり打てなくて。横浜の恥よ。こんな負け犬集団、ずっと川崎にいたらよかったんだわ」
 隣の朋恵がホットドッグをかじりながら、首をねじ向けてきた。
「せっかく連れて来てあげたのにさ、怒らないでよ」
「私は江川が負けるところを見に来たんだもの。五回で十点差じゃ、怒りたくもなるわ」

森 雅裕 『さよならは2Bの鉛筆』より「郵便カブへ伝言」 中央公論社

日本人は皆、こいつらのファンだと決めつけ」られるプロ野球チーム、確かにハードボイルド少女には日本で一番似合いません(笑)。しかし横浜チームにも「横浜の恥を天下にさらした」などと言われないようお願いしたいもので・・・
ちなみに雑誌での初出は昭和62年。野球のルールをおぼえてからの年数は、ベイスターズの方が長く、へえ、大洋ホエールズって川崎にいたことあるんだ、などと思った読者は、続く「神奈川を裏切った東京チームの四番バッター」のくだりで少々首をひねりました。・・・あ、原のことか。
(「裏切った」などとありますが、当時のドラフトはオールくじびき。神奈川の大学の4年生が神奈川チームに来なかったのは、単にクジを外した結果だということです(笑)。)


「ドラゴンズが勝ったのよ」
「よしてくれよう」
 太郎は、喉許まで、何かがつかえたような気持ちになって言った。
「町を歩いてきたから、知ってるよ。今、帰ってきたとこなんだ」
「今晩はうちでも、皆でお祝いに今池へ行くことになってるのよ」
「おれはやだね」
「あなた、それでも人類学? コミュニティに入り切らないで、人類学できる気? 私なんか30番までの背番号の選手、皆無理して覚えたのよ」

曾野 綾子 『太郎物語 大学編』 新潮文庫

優勝が決まった途端、デパートから下ろされる「祝、優勝」の垂れ幕、あちこちから流れる「中日ドラゴンズの歌」(「燃えよドラゴンズ」のこと?)。「もうこうなったら、どんな人間も、中日ドラゴンズと関係なく生きることは、できないのである。」と続くくだりで爆笑してしまいました。単行本の出版は昭和51年。確か、そのあたりに該当するような中日の優勝は無かったはずですが、名古屋を描くのにこれを使わない手はないですよね(笑)。思い入れのない人間の視点が面白いところです。
数字を覚えるのがとっても苦手な人間なので、三吉さんのように背番号を無理して覚えるようなまねは無理でしたが、野球のルールや選手は一生懸命頭に入れたもんです、私も。何せ、最低限度の知識が無いことには、実際、学校生活(大学までくればともかく)に支障をきたしましたから・・・


「パパがメッツのチケットを買ったの。日曜日のやつよ。おまえのぶんと、二枚だけ」
 マイロンは唾を呑み、なにもいわなかった。
「相手はツナズよ」ママがいった。
「マーリンズ!」パパがわめく。
「マグロ(ツナ)、マカジキ(マーリン)―――どこがちがうの? ねえ、今度は海洋学者にでもなるつもりなの、アル? 魚類の研究。これからは、そんなことで余暇をつぶしたいの?」

ハーラン・コーベン 中津悠訳 『パーフェクト・ゲーム』 ハヤカワ・ミステリ文庫 

本来は野球小説として取り上げるつもりで読んだ本だったのですが、いくら野球選手が出てくるとはいえ、試合のシーンの一つも出てこないようではいかんともしがたく、断念。
しかし、主人公が野球への思い入れを長々と語る地の文なんてのはあり、正統派野球ファンならこの部分に共感するんでしょうが、スポーツ少女だったことのない私には、「西武タイガース」(というネタが友人の日記にありまして)を思い出したラストの会話の場面のがうけてしまったのでした(笑)。
ちなみにパパとママとの会話とはいえ、主人公はとっくに30過ぎておりますので念のため。


 大抵は登場人物の方が強い。特に中盤から後半まで話が進んでいると、黄金時代の広島東洋カープ みたいに圧倒的な強さを誇る。僕はすごすごと引き下がり、もう一度、彼あるいは彼女の要望にそう 形で話しを作り変えることになる。

川西 蘭 『春一番が吹くまで』(著者ノート) 河出文庫

「黄金時代の広島カープ」という言葉を初めて見たのがここでした(笑)。


 さて、魚は夏王朝のシンボルである。なおかつ夏王朝の神は竜であるから、カープとドラゴンズと は同類である。さらに「登竜門」ということばがあるように、鯉は化して竜となるのである。夏王朝 がもっとも大切にしたいろは黒であるから、カープもドラゴンズも、至上の色は黒であり、その色を うまくつかうと、おもいがけない力を得ることとなる。
   ・・・(中略)・・・
さいごのホエールズは魚のようだが、魚でないというところがむずかしく、鯨にゆかりのある王朝は ない。

宮城谷 昌光 『春秋の色』より「プロ野球五行説」 講談社文庫

球団名変わりましたけど、星にゆかりのある王朝ってのも、やっぱり無いですよね。


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