■ 外国編
【プロ野球100年】
1969.9.24 アメリカ発行
プロ選手に関する正式な規定は1868年に制定され、翌1869年には、プロ選手だけで構成された初めてのプロチームとしてシンシナティ・レッドストッキングスが結成され、地方各都市を巡業してその名を馳せた。この成功をうけて各都市に次々にプロチームが誕生し、1871年には最初のプロ野球リーグ、ナショナル・アソシエーションが創設された。5年で運営が破綻するも、翌1876年にはナショナルリーグが発足。このリーグが最初のメジャーリーグとされている。1882年にはアメリカン・アソシエーションが創設され、1884年から1890年にかけてナショナルリーグとリーグ優勝チーム同士の対戦が行われた。1891年にはアメリカン・アソシエーションが解散し、1リーグ制にもどる。
12球団あったナショナルリーグは1900年から8球団へ統合・削減。一方でウエスタンリーグというマイナーリーグが1900年にアメリカンリーグへと改称し、ルイビルを除くナショナルリーグの球団削減でメジャー球団がなくなった都市へ進出。翌1901年にアメリカンリーグは自らを「メジャーリーグ」と宣言、ナショナルリーグが1903年にこれを容認し、この年から両リーグ勝者によるワールドシリーズが行われることになった。

1989.6.10 アメリカ発行
ルー・ゲーリック Henry Louis "Lou" Gehrig 1903-1941
1923年にヤンキースに入団。1925年には一塁手としてレギュラーに定着し、以後1939年までの14年間に渡って、当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たし、「鉄の馬」と呼ばれました。その間、本塁打王に3回、打点王に5回、首位打者に 1回輝き、MVPも2度受賞しています。1939年、体調異変を感じて自ら欠場を申し入れ、その後筋萎縮性側索硬化症と診断されて引退。病状が考慮されて、引退後5年を経ずに当時の史上最年少で殿堂入りしましたが、式典に参加することはできず、38歳の誕生日を待たずに死去。メジャー史上初めて自身の背番号『4』が永久欠番に指定された選手でもあります。

1982.8.2 アメリカ発行
ジャッキー・ロビンソン Jack Roosevelt "Jackie" Robinson 1919-1972
言わずとしれた黒人初の大リーガー。
1945年にドジャースの傘下の3Aモントリオール・ロイヤルズに入団。1947年にブルックリン・ドジャーズに昇格し、その年新人賞を獲得。1949年には首位打者、盗塁王としてMVPに輝いた名二塁手です。1956年に引退しましたが、1962年には野球殿堂入りを果たしました。
もっともこの切手を手に入れた当時は、野球のルールも知らない頃で、「ベーブ・ルースなら知ってるけど、この人誰?」なんて思ってたものですから、
逓信総合博物館(東京・大手町)に行って、“ベーブ・ルース”の切手とあるところを引いたら
この切手が出てきた時にはかなり笑えました。
“Black Heritage”(黒人の遺産、とでも訳すんでしょうか?)シリーズの1枚です。

1984.8.17 アメリカ発行
ロベルト・クレメンテ Roberto Clemente Walker 1934-1972
ラテン系選手としては初めて殿堂入りした大リーガー。
1955年から1972年までピッツバーグ・パイレーツに在籍、「ライフルアーム」と呼ばれる強肩外野手として活躍し、首位打者を4回獲得、1971年にはワールドシリーズのMVPにも輝いた名選手。
ちょうど3,000本安打を達成してシーズンを終えた1972年、ニカラグアを襲った大地震に、故郷プエルト・リコで休暇を過ごしていた彼はただちにボランティア活動に乗りだすと、救援物資を被災者へ届けるために自らも飛行機で出発。しかし、彼の乗った飛行機は離陸後まもなく墜落し、クレメンテは他の乗客とともに帰らぬ人となってしまいました。
米大リーグ機構は、毎年チャリティー活動などを通じて社会に大きく貢献した選手には「ロベルト・クレメンテ賞」を授与し、その栄誉を称えています。

【国際野球選手権】
捕手とダイヤモンド
1973.7.21 イタリア発行

1995.3.11 キューバ発行
1995年汎アメリカスポーツ競技アルゼンチン大会・銀メダル獲得記念・・・らしいです。
(スペイン語の辞書片手に訳した結果です;汗)

【第34回世界盃棒球錦標賽紀念】
2001.10.30 中華民国発行
11月7日に開幕、12日間の日程で行われた野球のワールドカップ。キューバが7年連続の優勝を
果たしました。日本は予選B組を1位で通過したものの、準決勝でキューバに逆転負け、三位決定戦
も台湾に完封負けして結局四位。
ちなみに我がカープからは東出くんが参加。サードでの登場でしたが(ショートは井端が守るのが妥当でしょう、やっぱり)、打撃が評価されたとかで、めでたくベストナインにも選出。
しかし、準決勝のキューバ戦、五回の一死一、二塁でサードゴロを悪送球、さらに満塁からタイムリートンネル、とそのシーズン“失策王”の実力もいかんなく発揮してくれました・・・。

解説はウィキペディアを参照
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