【中国古典文学名著 《三国演義》】

【三国志演義】 劉備・関羽・張飛の義兄弟と軍師諸葛亮を中心に、後漢末〜三国時代の群雄割拠の時代を描いた物語。陳寿の著した正史『三国志』および裴松之の収集した厖大な註や、『世説新語』などのエピソード集がもとになって、宋代には「説三分」といわれる講釈が流行し、元代には雑劇の題材としても広く演じられるなど、庶民の間で三国志物語が発展していった。この流れを汲みながらも、大筋では史書の記述に沿い、文学的にも洗練された小説に完成されたのが元末明初の時代。作者は羅貫中とされるが詳細は不明である。
1988年から1994年までに5回、それぞれ4枚セット+小型シートで発行。
シリーズ全部、となるとちと手が出ないお値段でしたが、単品で買えたので、有名どころの赤壁の小形シートを買ってみたのが最初です。
大学時代にちょっとばかり詳しく読んだことがあるので、どうもコメントがつっこみに偏りますが・・・

〈 第2次 〉

切手 切手
夜襲烏巣 三顧茅廬
切手 切手
単騎救主 大閙長板橋

1990.12.10 中華人民共和国発行

「夜襲烏巣」  曹操が袁紹と戦った官渡の戦い。袁紹を見限った許攸の提案に従って曹操は烏巣を急襲、大戦果を上げるという場面。

「三顧茅廬」
ご存じ三顧の礼。これは史実ではないのでは、という疑問もないわけではないようですが、そこまでいうとさすがに根拠薄弱の模様。

「単騎、主を救う」  曹操軍に追いつかれた劉備は妻子をも放り出して逃走。混乱の中でようやく劉備の幼児を見つけ出した趙雲は、彼を懐にかかえて敵陣を突破、無事に彼を劉備のもとに連れ帰ったという場面。
阿斗と甘夫人が趙雲に守られて無事だった、というのは史書にもありますが、このとき糜夫人が足手まといになるのを恐れて自殺した、とかいうのはフィクション。そういえば誰か、お節介な趙雲、とか言ってたな・・・

「大いに長板橋を閙がす」  敗走中、殿軍をつとめた張飛は、長板橋の上に立ちはだかり、三喝して曹操軍を撤退させたという場面。
演義でも結構脚色がありますが、民間伝承では張飛が大喝すると橋が崩れ落ちたというのまであるそうです。

〈 第3次 〉

切手 切手
舌戦群儒 智激孫権
切手 切手
蒋干盗書 草船借箭

1993.8.25 中華人民共和国発行

赤壁の戦い前夜。物語としては孔明のデビュー戦という位置付けになるため、したがってほとんどが史書の記述と異なる虚構です(笑)。

「諸葛亮、群儒と舌戦す」  呉と劉備が連合して曹操に対抗しようとする諸葛亮の来意を知った講和派の文臣は、わざと論争を挑んで断念させようとしたが、すべて論駁されてしまったという場面。
呉の内部が抗戦か講和かで割れていたのは事実ですが、諸葛亮が孫権以外を説得した形跡はありません・・・

「智をもって孫権を激する」
どうも「智をもって」とくるなら「周瑜を激する」の場面の方がインパクトが強い気が。何たって「曹操が狙っているのは孫策夫人と周瑜夫人の美人姉妹だ」と言って周瑜を怒らす、という少々あざとい手ですから・・・

「蒋干、書を盗む」  同郷の誼で周瑜のもとに降伏を勧めにきた蒋干。酔っぱらって寝込んでいる周瑜の机に置かれた文書を盗み見ると、それは曹操の部将が内応するという内容のもので・・・という場面。もちろんこれは曹操に部将を殺させる周瑜の策だったという設定です。
実際のところ、蒋干が周瑜に降伏を勧めに来たのは赤壁の戦いの2年後のこと。もちろん周瑜は姑息な策も施さなければ、狸寝入りもしませんでした・・・

「草船に箭を借りる」  周瑜に警戒され、10日のうちに十万本の矢を用意せよと無理難題を吹っ掛けられた諸葛亮。両側に藁束を並べた20艘の船を曹操軍の陣営に近づけ、藁束に矢を受けて目的を達したという場面。
個人的には「矢ァ! 矢ァ! 矢ァ!」という替え歌が印象深い(笑)場面。『十万本の矢』などという絵本もあり、何も知らない子どもたちに刷り込みがされているようで・・・
実はこれ、敵情視察に行った際、突き刺さった矢の重みで船が転覆しそうになったので、反対側にも矢を受けて安定させたという孫権のエピソード(時期は赤壁の戦いの後)が元になっているのでした。余談ですが、カタログの説明文は何とかならんでしょうか。「孔明、わら人形の船で矢をもらう」って・・・

〈 第4次 〉

切手

赤壁鏖兵

1994.11.24 中華人民共和国発行

これでほぼ実物大。でかいです。官製はがきを余裕ではみ出します。確かに小型シートってのはどっちかといえば実際に使う人よりは収集家が対象ですが・・・それにしても完全に実用は度外視されてますな。

もっとも、有名な場面にしては人物の見当がつけにくい・・・
中央の旗のところに立ってるのが爺さんぽいから黄蓋だとすると、左端は周瑜ですか。
(孔明にしちゃ白羽扇持ってないので。)
あとは・・・右端、黄色い服で逃げてるのが曹操で、追っ手の大将らしいのが関羽?
(白い赤兎馬じゃ変かな?)

・・・などと書いたらHIDENさんからご指摘が。
登場人物は旗印からして間違いなく黄蓋。左端の陰陽マークがついた道服を着ているのは風を吹かせるために祈祷していた孔明(祈祷用なので服装がいつもと違う)。白い馬に乗ったひげのおじさんが曹操(これは同時に出た切手に同じ人物が出ている)で、その下の黄色い服の人は軍師の誰かさんでしょうねえ。
だとすると、赤壁の戦いの勝利の立役者である総指揮官は、図案からカットされていることに・・・
(そりゃ戦いの格好してないのは変だなと思いましたが・・・)。周瑜哀れ。

ちなみに「鏖」の字は「みなごろし」と訓読みするようです(怖)。

〈 第5次 〉

切手 切手
白帝托孤 孔明班師
切手 切手
秋風五丈原 三分帰晋

1998.8.26 中華人民共和国発行

関羽の復讐戦をしかけたものの夷陵で返り討ちにあい、逃げ込んだ白帝城で病に倒れた劉備が諸葛亮に我が子を託すところから、司馬氏の晋によって三国が統一されるところまで。諸葛丞相が晴れて完全主役となるところです(笑)。
「班師」というのがよく分からないんですが、ひざまずいてるのが異民族っぽいし、「七擒七縦」の南蛮征伐の場面であることは間違いないでしょう(班=蛮ということかな?)。

大抵の三国志では諸葛丞相がいなくなった後など知らぬと「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」あたりまでで話が終わってしまうことも多いんですが、このシリーズの最後はきっちり三国の統一。
手前の人物は統一を果たした武帝(司馬炎)でしょうから、後ろでかしこまっているのは、魏の曹奐と蜀の劉禅、呉の孫皓てことになりますね。いや、どうせ象徴的な図なんだから、真面目に人物を当てはめるなんてヒマなことしなくてもいいんでしょうが・・・
切手

空城計

1998.8.26 中華人民共和国発行

「空城の計」  街亭の戦いで馬謖が敗れたことを知った諸葛亮は、みずから兵を率いて西城に引き上げた。そこへ司馬懿が大軍を率いてきたとの知らせ。しかし諸葛亮は動ずることなく城門を開け放たせ、自身は香をくゆらし琴を弾きはじめた。伏兵があると疑った司馬懿は兵を引き上げ、諸葛亮は難を逃れたという場面。
裴松之の引用注にあるエピソードですが、当の裴松之が信用ならぬと批判している記事でもあります。敗戦をカバーするために意図的に使われたんでしょうな。他の裴松之注によれば、趙雲、文聘に「空城の計」があったとか。

《戻る》     ◆ へ     ◆ 水滸伝 へ     ◆ 聊斎志異

>>Stamp Album