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Literatur |
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夜明け |
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ラ・マンチャにて |
帰郷 |
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相棒
サンチョ・パンサ とロバ |
1998.9.25 スペイン発行
セルバンテス Miguel de Cervantes Saavedra 1547-1616
スペインの小説家。外科医の子に生まれ、スペインやイタリアの各地を転々としたのち、レパントの会戦に参加して功績があったが、帰国の途中トルコ軍に捕らえられて5年間の虜囚生活を送った。帰国後も投獄や破門を体験するなど、不如意な生活が続くなかで、1580年前後から創作を始め、1605年に『ドン・キホーテ』の第1巻、1615年に第2巻を出して「黄金世紀」の代表的な作家となった。このほかに『模範小説集』や遺作となった『ベルシレスとシヒスムンダの苦難』などの小説、『新作コメディア8篇と新作幕間狂言8篇』などの劇作品、『パルナーソの旅』などの詩作品がある。
【ドン・キホーテ】 正式名称は「才智あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ」。中世の騎士になったと思いこんだ主人公が農夫サンチョ・パンサを従えて旅に出、さまざまな冒険と失敗をする風刺小説。1605年初版。
児童生徒の文通促進のために発行された切手らしいです。
セリメーヌ
モリエール Morière 1622-1673
フランスの劇作家、俳優。本名Jean Baptiste Poquelin。コルネイユ、ラシーヌと並ぶフランス古典劇三大作家の一人。初期の作品にはまだ前代の喜劇の影響が見られるが、『女房学校』『タルチュフ』『ドン・ジュアン』『人間嫌い』『守銭奴』『女学者』『病は気から』などによって、性格喜劇や風俗喜劇を完成させ、人間性に深くふれた本格喜劇を初めて生み出した。その演劇観は『女房学校批判』で明らかにされている。
1953.9.19 フランス発行
フィガロ
ボーマルシェ Pierre Augustin Caron de Beaumarchais 1732-1799
フランスの劇作家。パリの時計屋に生まれる。21歳の時に自分の発明した小型の腕時計をポンパドゥル夫人に贈って、宮廷に出入りするチャンスをつかみ、三人の王女たちにハープを教えて信用を得た。1759年宮廷の役職を買って国王秘書官の肩書きを得、前任者の未亡人と結婚、わずかばかりの領地の名をとってボーマルシェを名のる。その後実業家、金融家、出版屋、武器商、土木工事請負人、政治記者などの職業に従事したほか、ヴォルテールの最初の全集を刊行したり、大訴訟、入獄、亡命なども経験するといった波乱に富んだ生涯を送った。『覚え書』は彼が関係した訴訟に関連して書いた風刺文で、歴史的史料としても貴重。
フィガロは『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『罪ある母』の三部作の主人公。作者の実生活の経験や性格が、フィガロの人生哲学に強く現れている。
『セビリアの理髪師』は4幕の喜劇で1775年初演。マドリッドで見初めたロジーヌを追ってセビリアにやってきたアルマビバ伯爵だが、孤児の彼女は彼女と結婚を望んでいる医師バルトロに厳重に監視されていて手が出ない。しかし運良く、昔伯爵の下僕で、いまこの町で理髪師をしているフィガロに出会い、その知恵で首尾良く彼女と結婚する。のちロッシーニがオペラ化。
『フィガロの結婚』は5幕の散文喜劇で、1784年に初演。ロジーヌと結婚したアルマビバ伯爵は彼女に飽きがきて、フィガロと結婚することになっている小間使シュザンヌに色目を使い、結婚の際に廃止した領主の初夜権を復活しようとする。そうはさせまいとするフィガロとの間に虚々実々の小ぜりあいがくりかえされるが、フィガロの勝利に終わる。これに伯爵夫人に惚れる小姓のシェリバン、フィガロに横恋慕するマルスリーヌ(実はフィガロの母)などがからんで、多彩な舞台を展開する。のちにモーツアルトがオペラ化。
1953.9.19 フランス発行
エルナーニ
ユゴー Victor-Marie Hugo 1802-1885
フランスの詩人、小説家、劇作家。ナポレオン軍の将軍の息子。早くから自己の文学的使命に目覚め、1822年処女詩集『オードと雑詠集』を発表。以後約60年にわたり、文学的にはロマン派の総帥、国民的大詩人として、また一貫した共和主義者として、フランス文学史上普及の足跡を残した。その死は国葬をもって送られ、パリ中の人が参列したという。代表作に、ロマン派の宣言と勝利を記念する戯曲『クロムウェル』と『エルナーニ』、小説では『ノートル=ダム・ド・パリ』『レ・ミゼラブル』などがある。
『エルナーニ』はユゴーが28歳の時に書いた5幕の戯曲。16世紀スペインを背景に、ドナソル姫をめぐって、王、彼女の伯父、王を仇とねらうエルナーニの間に繰り広げられる葛藤を描いた韻文悲劇。初演は1830年2月25日、フランス座。劇場には連日古典派とロマン派の支持者がつめかけて争い、「エルナーニ事件」を引き起こしたが、ロマン派の勝利に終わった。のちにヴェルディがオペラ化している。
1953.6.6 フランス発行
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 1809-1849
アメリカの詩人、評論家、小説家。幼くして旅役者の両親を失い、酒や賭博にふけって士官学校中退後は、13歳の従妹との結婚などの醜聞にとりまかれ、破滅的な生涯を送った。
『大鴉』をはじめとする多くの詩、怪奇な幻想世界を描き出した『黒猫』『アッシャー家の崩壊』
などの短編がある。『黄金虫』『モルグ街の殺人』『盗まれた手紙』などで推理小説のジャンルを
確立した。
1949.10.7 アメリカ発行
アディ・エンドレ Ady Endre 1877-1919
ハンガリーのボードレールと呼ばれる詩人。ハンガリーとトランシルバニアの国境地帯にある村に下級貴族の子として生まれる。大学卒業後新聞記者となり、1899年に処女詩集『詩』を発表。1904年から11年にかけて3度パリに滞在し、フランス象徴派の影響を受けた。1906年に『新詩集』を発表、詩人としての地位を確立した。以後文芸雑誌『西洋』の中心的指導者として西欧派、急進派の先頭に立ち、保守派と対立した。
この人の作品に「ひとり海辺で」という詩があります。
海辺 たそがれ ホテルの小部屋
あの人は行ってしまった。もう会うことはない。
あの人は行ってしまった。もう会うことはない。
全文紹介するとこの説明欄が二倍の長さになってしまうので以下省略しますが、
この詩を初めて見かけたのは『異国の窓から』(宮本輝/文春文庫)にて。
彼の詩集は徳永康元・池田雅之訳で恒文社から出版されているのですが、
このアディ・エンドレの詩集は、あれ? どこかで聴いたことがあるなと思える日本の歌謡曲が
はやったときよりも、ずっと以前に日本で出版されたのである。
なんだだそうであります(笑)。
ちなみにハンガリー人の姓名の並びは日本語と同じなので、アディが名字、エンドレが名前ですから念のため。
1969.1.27 ハンガリー発行
ガルシア・ロルカ Federico Garcia Lorca 1898-1936
スペインの詩人、劇作家。グラナダの富裕な農家に生まれ、グラナダ大学で法律の学位をとる。在学中から詩を発表、戯曲も書くかたわらデッサン展もひらくなど、早熟の天才であったが、そのリベラルな作品と言動のため、スペイン内戦のさなかの1936年8月、グラナダで国民軍に捕らえられ銃殺された。作品に『ジプシー歌集』などがある。
1980.4.28 スペイン発行
T.S.エリオット Thomas Stearns Eliot 1888-1965
アメリカに生まれ英国に帰化した詩人、批評家。米、仏、英の大学で文学、哲学などを修める。処女詩集『プルーフロックその他の観察』(1917)、ロマン主義を批判し、伝統の価値を見直す古典主義的な立場を打ち出した評論集『聖なる森』(1920)のあと、1922年に長詩『荒地』を発表。のち『聖灰水曜日』『四つの四重奏』などの詩で宗教的傾向を深める一方、『寺院の殺人』『一族再会』『カクテル・パーティー』などの詩劇も書いた。評論では『詩の効用とと批評の効用』『異神を追いて』『詩論・詩人論』などが重要。日本の評論家にも大きな影響を与えた。1948年ノーベル文学賞。
1986.9.26 アメリカ発行
サンテグジュベリ Antoine de Saint-Exupéry 1900-1944
フランスの小説家、飛行士。始め海軍兵学校入学を望むが果たさず、兵役で空軍に入隊、飛行士の資格を取ったのち、民間航空の操縦士となる。第二次世界大戦に従軍して偵察機パイロット、のち北アフリカで連合軍の飛行士となったが、1944年、任務でコルシカ島を旅立ってのち、行方を断った。
フランスと南アメリカを結ぶ最初の定期航空路開設のエピソードを通じて人間の行動の高貴さを追求した『夜間飛行』や、童話のスタイルによる『星の王子さま』などの作品がある。
2000.6.24 フランス発行
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