Composer

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1986.6.20 ドイツ連邦共和国発行

ヴェーバー Carl Maria von Weber  1786-1826

ホルシュタイン地方オイティンに生まれる。幼少より父の率いる巡回歌劇団とともにドイツ、オーストリア各地を旅した。1821年ベルリンでオペラ《魔弾の射手》(1820年)を発表。初演から圧倒的な成功をおさめた。病躯をおして最後のオペラ《オベロン》を完成させたが、その初演地ロンドンに39歳で客死。ドイツ・ロマン派オペラの創始者としてヴァーグナーらに大きな影響を与えた。

Music: 「五重奏」

図案背景の楽譜はオットフェリウム聖歌「栄光と名誉もて汝は彼の者に戴冠せり」だそうです。

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1968.10.25 イタリア発行

ロッシーニ Gioachino Rossini  1792-1868

イタリアの作曲家。ボローニャの音楽学校を卒業した1810年、ヴェネツィアで最初のオペラが成功をおさめる。以後《セミラーミデ》を最後にイタリアを離れるまでに、ミラノ、ヴェネツィア、次いでナポリ、ローマなどで33のオペラを発表。転換期を迎えていたイタリア・オペラを大胆に刷新し、ドニゼッティとベッリーニの登場を促した。自在な作曲技巧と色彩的な管弦楽法を駆使し、《アルジェのイタリア女》《セビリアの理髪師》《チェネレントラ》などのオペラ・ブッファの数々を残したほか、《オテロ》《湖上の美人》ほかオペラ・セリアの系列にも名作が多い。1824年のパリ移住後は、1929年の《ウィリアム・テル》を最後にオペラの筆を折り、その後は《小荘厳ミサ曲》などの宗教曲、歌曲、ピアノ曲などに円熟の筆致を示した。

Music: 歌劇「セミラーミデ」より序曲

ロッシーニといえば「ウィリアム・テル」の序曲しか知らなかった時代もあったんだよなあ、と思うと感慨深いです(笑;運動会のBGMでおなじみのあの曲、実際一番Midiがネット上にあるんですが、やっぱりロッシーニ・クレッシェンドが感じられる曲にしたかったので)。

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1978.11.17 オーストリア発行

シューベルト Franz Schubert  1797-1828

オーストリアの作曲家。11歳で王室礼拝堂の少年聖歌隊員に採用され、国立神学校で音楽を学ぶ。宮廷楽長サリエリにも指導を受けてその早熟な才能を開花させ、17歳で《交響曲第1番》を、さらに翌1814年にかけて《糸を紡ぐグレートヒェン》《野ばら》《魔王》などのリートを完成。歌曲作曲家としての天性の資質を早くも示した。以後定職を持たず、友人の家に寄寓したり、エステルハージ伯家での音楽家庭教師や父の経営する初等学校の手伝いをしながら作曲を続けた。交響曲や室内楽にはシューマンらのロマン派音楽に連なる特質が際立ち、また数多くのリートはのちのヴォルフらに至るドイツ・リートの豊かな水脈の源流となった。代表作として、《ピアノ五重奏曲・鱒》、《未完成交響曲》、歌曲集《美しき水車小屋の娘》《冬の旅》などが広く知られ、室内楽曲、ピアノ・ソナタ、ピアノ独奏曲、ミサ曲などに数多くの名作を残した。

Music: 「湖上の美人」より「エレンの歌」   「冬の旅」より 「道標」


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代表作「ツァーリと大工」の楽譜

2001.1.11 ドイツ発行

ロルツィンク Albert Lortzing  1801-1851

アルベルト・ロルツィンクは疑いなくドイツの大オペラ作曲家の一人に数えられる。彼は 1801年にベルリンに生まれ、ライプチヒ市立劇場で役者・指揮者・作曲者として長く勤めた。彼の筆になるコミックオペラ「ツァーリと大工」「密猟者」「ハンス・ザックス」「武具師」ロマンティックな魔法の登場するオペラ「ウンディーネ」のような傑作は、今日まで世界中の音楽愛好家を引きつける魅力を持っている。
・・・以上、購入時に付いてきたドイツ語説明書きの拙訳でした。

【ロルツィンク生誕200年】


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1997.10.9 ドイツ発行

メンデルスゾーン Felix Mendelssohn Bartholdy  1809-1847

ユダヤ系ドイツ人としてハンブルクに生まれ、ベルリンで育つ。早くからピアノ、バイオリン、作曲を学び、17歳で《真夏の夜の夢》の序曲を作曲。各国を旅してベルリオーズ、ショパン、F.リストらと親交を深めた。1843年ライプチヒ音楽院を創立したが、まもなく過労のため健康を損ない38歳で死去。古典派的傾向をもつロマン派の作曲家で、気品に満ちた均整美には他に求めがたい魅力がある。

Music: 「歌の翼に」   「春の歌」

図案背景の楽譜は《3つのフーガ第3曲ヘ短調》だそうですが、Midiを発見できなかったので有名どころを2曲ほど。

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1989.8.10 ドイツ連邦共和国発行

ファニー・ヘンゼル Fanny Hensel  1805-1847

メンデルスゾーンの姉。ピアニスト、作曲家。幼少時から弟と一緒に音楽教育を受け、楽才を示した。プロイセンの宮廷画家ヴィルヘルム・ヘンゼルと結婚したが、演奏や作曲活動は続けた。しかし、リハーサル中に倒れ42歳の若さで急逝した。

Music: 「Ich wandelte unter den Baumen」


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1956.7.28 ドイツ連邦共和国発行

シューマン Robert Shumann  1810-1856

ドイツ・ロマン派の作曲家。早くから音楽の天分を見せる一方、文学にも熱中する。ライプチヒ大学とハイデルベルク大学で法律を学ぶが、学業を半ばで打ち切り、のちの妻クララの父・ウィークについてピアノを本格的に学ぶ。右手を痛めてピアノ奏者への道を断念し、作曲に専心。合唱団、管弦楽団の指揮なども務めたが、神経障害が高じ、1854年ライン川に投身、2年後に精神病院で死去した。

Music: 「ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調」より第一楽章の序奏部

図案背景の楽譜がこの曲だそうです。
シューマンとシューベルトの楽譜を間違えた、東ドイツの有名なエラー切手がありますけど、気が付いた人ってすごいなあ、とこの手の切手をみるたびに思います(笑)。

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1986.11.13 ドイツ連邦共和国発行

クララ・シューマン Clara Shumann  1819-1896

ライプツィヒに生まれ、5歳でピアノを始める。父ウィークの元でピアノを学んでいたロベルト・シューマンと、父の反対に遭いながらも1840年に結婚。8人の子沢山であった。演奏活動やフランクフルト音楽院の教授を務めて後進の指導にあたった。作品はピアノ曲が多い。卓絶したピアニストであると同時に、優れた作曲家でもあり、シューマン、ブラームスの音楽に大きな影響を与えた。
余談ですが、かつてはドイツの100マルク紙幣にも彼女の肖像画が使われていました。

Music: 「ロマンス・ヴァリエ」


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ムンカーチュ・ミハーイ画

1967.6.22 ハンガリー発行

リスト Liszt Ferenc  1811-1886

ハンガリーの作曲家、ピアニスト。7歳から父にピアノを習い、1822年にウィーンでピアニストとして正式デビュー。1848年からワイマールに住み、ワイマール宮廷楽団の指揮者として活動する一方、作曲と後進の指導に専心。12曲の交響詩でその創始者とされ、標題音楽の発展に重要な役割を果たした。

Music: 「愛の夢」第3番   「ハンガリー狂詩曲」第6番


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肖像とミラノ・スカラ座

1963.10.10 イタリア発行

ヴェルディ Giuseppe Verdi  1813-1901

イタリアの作曲家。パルマのブッセート近郊に宿屋兼食料品屋の子として生まれる。ミラノで研鑽を積み、1839年オペラ《オベルト伯》をスカラ座で発表。次いで《ナブッコ》、《エルナーニ》などの愛国的作品を発表、イタリアの統一と独立を求める〈リソルジメント〉運動の胎動を背景に成功をおさめた。ベッリーニが早世し、ロッシーニとドニゼッティも活動を終えたイタリア・オペラ界を、以後半世紀にわたって一身に担う。《リゴレット》(1851年)以後は音楽書法、劇的構成ともに円熟し、《トロヴァトーレ》《椿姫》《シモン・ボッカネグラ》《ドン・カルロ》《アイーダ》と今日に残る名作が続く。1961年イタリア王国初の国会議員となって5年間在職した。70歳を過ぎてからの《オテロ》と《ファルスタッフ》では敬愛するシェークスピアの戯曲を原作に、声と管弦楽のより緊密な統合を推進、ヴァーグナーの楽劇に匹敵する輝かしい舞台芸術を完成させた。ほかに、マンゾーニ追悼のために書かれた壮麗な傑作《レクイエム》などがある。

Music: 歌劇「ナブッコ」より「行けわが思いよ、金色の翼に乗って」

「ナブッコ」なんてイタリア語読みされると誰のことだか、ですが、新バビロニア王ネブカドネザル2世のこと。国をほろぼされ、バビロンに拉致されてきたユダヤ人(「バビロン捕囚」)が望郷の念を歌った歌だそうで。

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肖像と国民劇場

1949.6.4 チェコスロヴァキア発行

スメタナ Bedrich Smetana  1824-1894

チェコの作曲家。幼年期から秀でた楽才をあらわし、1843年、単身プラハへ出て音楽を学ぶ。1856年から5年間はスウェーデンで指揮者を務めたが、チェコ独立運動の気運に呼応して1861年帰国。民族運動の芸術界におけるリーダー格として活躍を開始し、チェコ人のための国民劇場建設に向けその仮劇場でオペラ《売られた花嫁》を初演し大成功をおさめた。1874年に聴覚を失った後も、1879年に交響詩組曲《わが祖国》を発表するなど創作活動を続けたが、晩年は精神錯乱がこうじ、プラハの精神病院で死去した。

Music: 交響詩「わが祖国」より「モルダウ」

“モルダウ”っていうのは実はドイツ語で、チェコ語では“ブルタヴァ”河になります。
余談ですが、中学の時の合唱コンクールで歌ったのがこの曲でした(笑)。

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1996.10.18 ドイツ発行

ブルックナー Anton Josef Bruckner  1824-1896

オーストリアのアンスフェルデンに学校教師兼オルガン奏者の長男として生まれる。13歳で父を失ったのち近くの修道院の寄宿舎に入り、少年聖歌隊員としてオルガンやピアノ、バイオリンを学ぶ。助教師などを経て1856年リンツ大聖堂のオルガン奏者に就任。以後作曲の勉強に本格的にとりくみ、ヴァーグナーを知って傾倒するようになる。1864-68年に〈3大ミサ曲〉を完成。1868年ウィーン音楽院教授に就任。1884年の《交響曲第7番》初演の大成功で、作曲家としての名声は頂点に達した。教会オルガン奏者として精通した多声音楽の伝統とベートーヴェン以来のドイツ、オーストリア音楽の諸様式とが融合し、独自の書法を形作っている。

Music: 交響曲第四番 変ホ長調「ロマンティック」


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水彩画「ウィーン王宮の舞踏会」と自筆楽譜の一部

1999.6.10 ドイツ発行

ヨハン・シュトラウス(2世) Johann Strauss  1825-1899

父親が〈ワルツの父〉と呼ばれるのに対して〈ワルツ王〉と呼ばれる。父の反対を押してひそかにバイオリンを習い、1844年には楽団を組織してデビュー。父の死後はその楽団を吸収し、欧米各地に演奏旅行を重ねた。その洗練された芸術的感覚と精緻な管弦楽法は広く音楽界の尊敬を集めた。パリのオッフェンバックに触発され、1870年代からはオペレッタの作曲にも力を注ぎ、《こうもり》などの名作を残した。

Music: 「美しく青きドナウ」

知らない人の方が少ないであろう超有名曲。
しかしこの曲が発表されたのは1867年。普墺戦争でプロイセンに7週間でひねられてまもなくのことです。
音楽の都ウイーンも、さすがにワルツなんていう雰囲気ではなかったため、発表当時は全然話題にもならなかったのだとか・・・

略伝は平凡社マイペディアと世界大百科事典より。
(クララ・シューマンについては略伝もソラリスの海を参照させていただきました)

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