《北ドイツ編》
ブラウンシュヴァイクの獅子像
ブラウンシュヴァイクの旧市街の中心・ブルク広場にある、高い台座の上に立つ獅子像。
1166年、 ハインリヒ獅子公によって、自身の象徴として居城の前に建てられたもので、ヨーロッパの野外像としては最古のものだそうです。現在屋外にあるものは複製で、本物はダンクヴァルデローデ城内の博物館の中で見ることができましたが。大聖堂の地下には、獅子公と二人目の妃・イングランド王女マティルダの墓もありました。
おみやげにこの獅子像の絵葉書をもらって以来、いつか自分でも行くぞ! と思っていたのですが、一緒に旅行に行った相手が、ほど近いヴォルフェンビュッテルにあるアウグスト公図書館に用事があったため、思いがけず実現のチャンスになりました。思いがけないといえば、そのアウグスト公図書館に 獅子公の福音書が所蔵されていたんですよ! 計画を立ててた時には全く知らなかったので、本当に嬉しいびっくりでした!
1990.2.15 ドイツ連邦共和国発行
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絵葉書 |
聖堂内の墓所 |
司教冠と教会
ヒルデスハイムには、大聖堂と聖ミヒャエル教会というロマネスク様式の教会があり、どちらも世界遺産に指定されています。さて、この切手の図案の教会、JPSのカタログには“聖ミヒャエル教会”と書いてあり、スコットでは“Cathedral”(つまり大聖堂)となってます。どっちなんだー!
大聖堂というのは司教座付属聖堂のことですから、2人の司教ゆかりの教会となれば、普通はこっちだろうと思うのですが、聖ミヒャエル教会を建てたのはベルンヴァルト司教、完成させたのがゴーデハルト司教なんだそうでして。大分デフォルメされちゃいますが、形は聖ミヒャエル教会の方に似ているかも・・・。結局、よく分かりません。
ヒルデスハイムの町は第二次大戦中に爆撃を受けていて、どちらの教会とも再建。内装はかなり殺風景です。もっとも、聖ミヒャエル教会では、13世紀に書かれたイエス・キリストの系統樹を表す天井画(疎開して無事)を見ることができます。大聖堂では、11世紀に鋳造されたベルンヴァルトの扉やキリストの円柱が見物です(宝物館もありましたが、改修工事中で入れず)。ルートヴィヒ敬虔帝の伝説ゆかりの「千年のバラ」が見られるのもこの大聖堂です。
1960.9.6 ドイツ連邦共和国発行
【聖ベルンヴァルト・聖ゴーデハルト両司教生誕1000年】
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大聖堂 |
聖ミヒャエル教会(改修中) |
トリニティ病院
案内所でくれた地図がなかなか詳細だったのですけど、こんな建物は記載無し。手元の写真を繰ってもそれらしいものは写っていないし、ネットでも探し出せませんでした。ヒルデスハイムがドイツに1カ所しかないことは多分確かだし。わざわざ切手に取り上げるほどなんだから、きっと有名な建物だと思うのですけど・・・。第二次大戦中に焼けてしまって、再建されなかった建物なのかしら?
1966.12.13 ドイツ連邦共和国発行
初めて行った旧東独圏クウェドリンブルク。行った友達が一度怖い目にあったことがある、というのでちょっと緊張して行きましたが、私は無事でした。行きに道を間違えて川沿いに遠回りしてしまい、ちょうどお城の裏手に出てしまったのですが、おかげでめちゃくちゃいいアングルで写真が撮れました(笑;切手の図案とは反対側からの撮影)。日程の都合上、月曜日(休館日)にあてざるをえなかったので、お城、教会とも中には入れませんでしたけど。
町全体が世界遺産に指定されていて、お目当ての木組みの家を堪能しましたが、旧西独と比べると、観光地としてはまだまだ洗練されていない印象です。あの建物、きちんと維持するのは結構大変なようで、お化け屋敷化している建物もちらほら。最後に行ったツェレの町並みなど本当に素晴らしかったので、順番が逆だったら、物足りないと思ったかも。「木組みの家博物館」なるものもありました。極めると奥が深いのですねー。私は当面、ただ眺めるだけでいいですけど・・・。
あと、聖ブラジィイ教会の内部が印象的でした。内装からパイプオルガンまでとにかく木! ヨーロッパは石とレンガの文化、なんていう人は、こういうの見てないんじゃないかしら、と思います。
1994.11.9 ドイツ連邦共和国発行
【クウェドリンブルク市1000年】
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市庁舎 |
切手には“17世紀の市民の家”と書いてあるのみ。わざわざ切手に取り上げるほどなんだから、きっとクウェドリンブルクの有名な建物なんだろうけど、こんな建物見た記憶ない・・・。どこかの写真にひょこっと写ってたりしないかしら、と手元の写真を繰ってみたら・・・あーっ、もしかしてこれ?! クロップシュトック(詩人 1724-1803)の記念館(生家)だと聞いて、取りあえず写真だけ撮ってみた建物だったのでした。現地で買ったガイドブックにもちゃんと載ってはいたのですが、正面から撮った写真ではなかったので見すごしてましたねー。お城のすぐ近くにある建物です。
1978.1.24 ドイツ民主共和国発行
ハルツ山地の古都 ゴスラー。私好みの、あまり規模の大きくない町で、落ち着いて観光できました。町歩きのお目当ては木組みの家、ジーメンスハウス(ジーメンスが最初に商売を始めた家だとか)の規模の大きさが印象的でした。他にも、かつての修道院の建物を利用したお店(ゴスラー版黄金小路;笑)でお土産を選んだり、「楽器と人形の博物館」の展示を楽しんだり。
今回ホテルは思い切って、元はギルドの会館だったというカイザーヴォルト。その外装を ゲーテやシラーが酷評したという(笑)、由緒ある建物です。マルクトに面しているので、夜のライトアップは楽しめるし、テラスで朝飯を食べながら仕掛け時計を楽しめるわ、最高でした。
皇帝居城は11世紀にロマネスク様式でハインリヒ3世が築いた・・・ということになってますが、実際のところ、現在の建物は19世紀に再建されたもの。そういうわけで、お城の前にはヴィルヘルム1世の像が建ってます。よくこんなもの再建したもんだ、と感心するような規模。ドイツ統一当時の勢いみたいなものを感じました。
ゴスラーの繁栄を支えたランメルスベルク鉱山にも行ってきました。時間の都合で徒歩コース。水車の立派だったこと! よくこんなとこで組み立てられたものだと思いました。歩かされるのは覚悟してましたが、急角度かつ長いはしごが怖かったです。博物館もあって、鉱物とか道具とか展示してありましたが、かなり暗くて殺風景。一人じゃ絶対行きたくない! って感じでした。
1971.9.15 ドイツ連邦共和国発行
【観光・ゴスラー】
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カイザーヴォルト |
皇帝居城 |
「ハンザの女王」 リューベック。トラヴェ川とトラヴェ運河に囲まれていて、なるほど水運の町だものね、と納得。「七つの塔とホルステン門の町」とも呼ばれているそうです。この町の発展に寄与したのは ハインリヒ獅子公。大聖堂の前にはブラウンシュヴァイクの獅子像(↑)のレプリカがあるそうです(そこまで足を伸ばせませんでしたが)。
市庁舎にはガイドツアーで入れていただきました。解説はドイツ語ですから、説明は全く分かりませんでしたが、それでも一見の価値ありの豪華さです。知らずに見たら、どこぞの宮殿かしらという感じ。往時の繁栄が偲ばれます。余談ですが、ツアーの料金を払おうとしたら、大人2人のはずなのに、あちらさん、1人分の料金を要求するではありませんか。ぽかんとしたら、同行者が「あんたは学生、こっちは年金生活者」って言ってるよ、と。え! 同行者はまだ年金もらってないし、私が学生だったのは○年前なんですが・・・。半額にしてくれるんだから、文句は言いませんでしたけど(笑)。
夕食もここのラーツケラーで食べたのですが、席がコンパートメントみたいになっていたのが面白かったです。焼きニシンを頼んだら、りっぱなニシンが3尾! ええ、食べましたとも・・・。
ちなみにリューベックは3人のノーベル賞受賞者と縁がある町だそうで、そのうち トーマス・マンゆかりのブッデンブロークハウス(マン兄弟記念館)とヴィリー・ブラントハウスは外から拝見してきました。ギュンター・グラス・ハウスは、この辺のはずなんだけど・・・ってとこまでは行ったんですが、お宅がどれかは判別できずじまい。
1990.1.12 ドイツ連邦共和国発行
【世界遺産】
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マルクト広場(建物は市庁舎) |
市庁舎内部 |
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1948年 ドイツ連邦共和国発行 |
1997.8.28 ドイツ連邦共和国発行 |
ホルステン門
リューベックのシンボル的存在のホルステン門。切手ではおなじみ(他にもまだ何種類かある)なので、かねてから見たい〜と思っていたのですが、かつてはマルク紙幣の図案にもなっていたとか。
1464〜78年にかけて街を守るために建てられた門で、入り口の上の金文字は“CONCORDIA DOMI FORIS PAX”というラテン語で、「内は団結、外には平和を」という意味だそうです。日本人の“門”という概念を吹っ飛ばすような立派な建物。外向きの壁は厚さ3.5mにもなる部分があるんだそうで、壁の重みで地面にめり込んでしまい、よって少々傾いているんだとか。
中は現在歴史博物館になっていて、かつての街の模型や帆船関係の展示、武器や拷問具などの展示があり、なかなか充実しています。貞操帯(・・・)なんてのもありましたし、マルツィパーン(リューベック名物のアーモンド菓子)の型(双頭の鷲の図案とか)があったのには笑ってしまいました。壁の分厚さもしっかり体感できます。
これだけだって相当に立派な建物なのですが、復元模型によると、かつてはこの前後にまだ塔があったというから口あんぐりです。街の北にはBurgtorという門も残っていて、ホルステン門と比較したらそりゃあ分が悪いですけど、これだって十分立派な城門なんですよね。
ちなみに泊まったホテル、部屋によってはホルステン門が窓から見えます、というふれこみだったのですが、ばっちり見えてラッキーでした(笑)。
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議員や商人のための教会だった聖マリア教会。市庁舎の隣にあって、レンガ造りではドイツ国内最大の教会なんだそうです。 ブクステフーデの弾くオルガンを聴きに、 バッハがやってきたことでも知られています。これまた第二次大戦中に破壊されてまして、大部分再建なのですが、内装は分からないくらい綺麗になっていました。ただ、その時に焼け落ちた鐘が、地面にめりこんだまま残されています。
で、教会見学中は気がつかなかったんですね〜。この教会が、この切手と関係があるってことに。いわくは知っていて、それで欲しくて手に入れた切手だったんですが、リューベックってことは忘れてました。
この切手、第一次大戦で破壊された際、内陣に塗り込められていたのが発見された、という中世の壁画の一部が図案になっています。戦後、損壊した教会の修復が行われ、この壁画も修復され、1951年聖マリア教会七百年祭に当たって公開されました(これを記念して発行されたのがこの慈善切手)。この修復作業を担当したのは、古画修復専門家のディトリッヒ・ファイと助手のロタール・マルスカートでしたが、1952年、マルスカートは聖マリア教会の内陣画は修復されたものではなく、自分が新しく描いたものであり贋作である、と発表します。この告発が相手にされなかったマルスカートはシュレスヴィヒ大聖堂の壁画修復などに関しても自作であると認め、ついに検察庁が捜査に乗り出します。家宅捜索の結果、ファイの家からは他の作家の贋作が発見され、裁判の結果、ファイ、マルスカートともに実刑判決がくだり、内陣壁画は上塗りされたということです。
参考文献:「贋作 汚れた美の記録」(長谷川公之/アートダイジェスト)
1951.8.30 ドイツ連邦共和国発行
【聖マリア教会700年】
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パイプオルガン |
焼け落ちた鐘 |
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